SSブログ

駆逐艦萩風 駆逐艦というもの [駆逐艦萩風]

スポンサーリンク
(adsbygoogle = window.adsbygoogle || []).push({});



 駆逐艦は、戦前は夜戦が訓練目標となって
いました。真っ黒な海岸に、一切の灯火を
隠して、全速力で、緊密な編成を保持
しながら、敵主力部隊に肉迫し、魚雷を
持って襲撃するというものでした。

 レーダーはなかった時代なので、唯一の
頼りは肉眼でした。敵より先に相手をとらえ、
距離、速度、動勢を察知して、機先を制した
攻撃を加えていきます。

 この刺し違え戦法こそ、駆逐艦の主任務と
していました。駆逐艦は、この戦法を実現する
ために、教育され、訓練されました。

 しかし、いつの頃からか、刺し違え戦法が、
信念となってしまいました。そのため、
戦法に対する反省をしなくなって
いました。

 日清戦争の際は、魚雷艇が襲撃の効をなして
います。日露戦争でも、日本海海戦で、バルチック
艦隊を破り、水雷艇が、敵を追撃して、捕捉して
いました。これらの体験から離れなかったと
いえます。

 本来、水雷艇は、主力艦である戦艦の主砲
不足を補う事が目的でした。決戦前夜に夜襲を
かけ、敵を混乱に陥らせる事が、最初の任務でした。

 夜戦で効果がなかった時は、昼間の砲撃戦の
最中に、機を見て雷撃し、味方主力艦の砲戦を
有利に運ぶ事が、次の任務でした。

 しかし、太平洋での海戦では、このような
戦法をとれるような場面はなく、訓練は、
空振りに終わっています。

(追記)
 駆逐艦は、小型艦と言われていますが、
訓練時は、敵からの距離2kmまで近づいて
雷撃するようになっていましたが、これだけの
運動をするには、大きな艦でした。

 駆逐艦が33ノットで、旋回すると、1.8kmの
輪が出来ます。2kmというのは、旋回する直径と
同じ位あった事を示しています。


紹介書籍:激闘駆逐艦隊 萩風・涼月の奮闘記
著者:倉橋 友二郎(くらはし ともじろう)

【お金持ちへの挑戦は100円から】電子書籍プレゼントキャンペーン


スポンサーリンク



nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 0

トラックバックの受付は締め切りました

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。