SSブログ

山口多聞 権威におもねらない人柄 [山口多聞]

スポンサーリンク
(adsbygoogle = window.adsbygoogle || []).push({});



 五十鈴の艦長として就任した山口少将は、
航海長の実松(さねまつ)譲少佐から、
五十鈴に乗り込んでいた元皇族の
某少尉の成績が芳しくないということで
相談に来ました。

 兵学校や練習艦での成績は優秀となって
いましたが、侯爵に気兼ねした成績となって
いたようでした。実松少佐は、この成績に、
手直しせずに海軍省に送っていいか、
相談しに来たものでした。

 山口少将は、そのままの成績を報告
するように命じています。皇族出身だからと
いって容赦することはありませんでした。

 まもなく、実松少佐が戻ってきて、
司令官からどうにかならないかと言われ、
再び相談に来ました。

 山口少将は、少尉を艦長室に呼び、
海軍士官としての心得について語って
聞かせました。山口少将は、権威に
おもねらないという態度を終始続けて
おり、人柄が出ている話でした。


 五十鈴には、後の海軍に影響を与えた
人物が乗艦していました。砲術長の堀内
豊秋(とよあき)少佐でした。堀内少佐は、
砲術長として着任するなり、独特の体操を
持ち込みました。

 これまで五十鈴では、乗員総員が行進
ラッパにあわせてラジオ体操をしていました。
しかし、堀内少佐は、ラジオ体操とは違う
独自で改良した体操を行うようにしていました。

(追記)
 ラジオ体操は、1925年にニューヨークの
メトロポリタン生命保険会社が始めたものを、
同じ年に逓信省簡易保険局によって日本に
紹介されました。

 1928年に、簡易保険局を中心に、日本
放送協会、文部省などの協力のもとに、
ラジオ体操第一を制定し、11月から
放送が始まっています。


紹介書籍:山口多聞 空母「飛龍」と運命を共にした不屈の名指揮官
著者:松田 十刻(まつだ じゅっこく)


スポンサーリンク



nice!(0)  コメント(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。