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山口多聞 航空機開発の歩み [山口多聞]

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 日本海軍黎明期の艦上攻撃機には、
国内初の空母鳳翔へ発着艦した三菱
10式艦上戦闘機や、同式の艦上偵察機、
三菱13式艦上攻撃機がありました。

 違うメーカとして、中島三式艦上戦闘機、
中島90式艦上戦闘機、中島95式艦上
戦闘機などがありました。

 三菱製は、イギリスのソッピース社から
招聘したハーバード・スミス技師が設計
したもので、いずれも木製でした。

 10式は1923年から実戦配備されました。
13式は、3人乗りの魚雷攻撃も出来る機体で、
1924年から生産されています。

 中島三式は、イギリスの艦上戦闘機を
ベースにしたもので、日本最後の木製
骨組みの機体でした。

 上海事変で初陣を飾り、艦上機として
最初の実戦を体験しています。この機体を
上海まで運んだ空母は加賀でした。この
機体は440機生産されています。

 中島90式は、外国機を参考にした
始めての国産技術で生産した高性能の
戦闘機で、発動機にエンジンカバーを
取り付け、艦上戦闘機として始めて
金属製プロペラを使っていました。
約100機生産されています。

 これらの複葉機が終焉を迎えたのは
三菱96式艦上戦闘機でした。全金属製の
単葉機で、最大速度は434kmに達しまし、
それまでの常識を覆す戦闘機でした。

 1935年に試作機の飛行が行われ、翌年から
生産に入っています。この機体は日中戦争初期に
活躍した名機となりました。

 設計したのは後に零式艦上戦闘機を設計した
堀越二郎氏でした。零式艦上攻撃機は、
96式をベースに作られています。


紹介書籍:山口多聞 空母「飛龍」と運命を共にした不屈の名指揮官
著者:松田 十刻(まつだ じゅっこく)


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