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山口多聞 最後の図上演習 [山口多聞]

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 司令部は、悲観的な展開があるものの、
対した根拠もなく「今度も勝つ」という
漠然とした思いに寄りかかっていました。

 山口少将は、釈然としませんでした。
唯一の救いは、「索敵は充分に行うことと、
戦闘中の兵装転換は厳禁」と念を押した
ことでした(守られることはありません
でしたが)。

 5月25日、連合艦隊司令部は、旗艦大和に
司令部や参謀を集めて、ミッドウェー・アリュー
シャン攻略に関した最後の図上演習、兵棋演習、
作戦打ち合わせを行いました。

 山本長官の挨拶の後、宇垣参謀長と黒島
先任参謀から、作戦の概要が説明されました。
この中で、アメリカの機動部隊の動向を監視する
潜水艦隊の準備が遅れ、6月4日以降になる
ということが報告されました。

 このことに対して、「アメリカの機動部隊が
出撃するのは、日本軍がアリューシャンや
ミッドウェー方面に展開しているの知ってから
となるので、6月4日より早いとは思われない。」
という見解を述べて、問題視されませんでした。

 さらに、飛行機の部品搬入が遅れ、出撃は
1日遅れの5月27日になることになりました。
このため、ミッドウェー攻撃は、1日延期し、
6月5日になるという事でした。

 このことに対し、攻略部隊の通信参謀の中島少佐が、
「攻略部隊の輸送船団は、6月4日にミッドウェー基地の
哨戒圏内に入るので、翌日の機動部隊の空襲が
察知されかねないので、5日に延期したい。」と
疑念を挟みました。

 これに対し、宇垣参謀長は、敵機動部隊出現の
危険性を説いていながら、この時の作戦会議は、
形式的なものと思っているためか、丸くおさめようと
しており、「その必要はない。」と言い放っています。


紹介書籍:山口多聞 空母「飛龍」と運命を共にした不屈の名指揮官
著者:松田 十刻(まつだ じゅっこく)


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