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源田実参謀 不安 [源田実航空作戦参謀]

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 南雲機動部隊が出撃した11月26日に、
日米交渉のアメリカ側からの最終回答が
ハル国務長官から大使に手渡されました。

 日本の要求は、一切委細認めないという
挑発的なものでした。アメリカも匙を
投げて対日戦を決定しました。

 11月29日、翔鶴と瑞鶴、警戒隊の
第一水雷戦隊が燃料補給を受けました。
12月1日に、航程の約半分に達し、
東経から西経に入りました。

 この頃に、二航戦と八戦隊、一水戦が
燃料を補給しました。

 赤城の艦橋で、南雲長官が草鹿参謀長に
弱音を洩らしました。「参謀長、エライことを
引き受けてしまった。もう少し機を強くして、
きっぱり断ればよかったと思うが、うまく
いくかしら。」というものでした。

 この時は、普段は強気一点張りの源田参謀も、
「アメリカに待ち構えられて、虎の子の
母艦6隻を失うようなことになれば、
戦争は終わりだ。」と不安に駆られて
いました。

 一方で、「道は前進あるのみ。断じて行えば、
鬼神もこれを避くはずだ。」と迷っていました。

 曇り時々雨の12月2日、かなりの風波はあるが、
予定通り、一航戦らが燃料補給を行いました。
これで、今後燃料補給しなくても作戦は
できる事になりました。

(追記)
 ハル長官から手渡された文書はハルノートと
呼ばれ、日本が開戦する理由とされています。
ハルノートはソ連のスパイが、日米を戦争に
導くためにわざとこのような文章にしたという
話もあります。

 しかし、日本にとっては、受け入れても
実害がない内容でした。拒絶するにしても
ハルノートを全世界に公開して、アメリカを
無視すればいいだけの話で、真珠湾攻撃は
つくづく無駄な攻撃になったと感じます。


紹介書籍:航空作戦参謀 源田実
著者:生出 寿


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