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源田実参謀 特攻に関する責任者 [源田実航空作戦参謀]

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 源田参謀が、電報を起案したのは、
大西司令官が東京を出発した10月9日
以降なので、大西司令官が飛び立った後、
なにかが起こったことで、電文を起案した
ようです。

 しかも、源田参謀は、大西司令官宛に、
零戦150機の準備の約束もしています。
この通り、源田参謀は、特攻作戦に深く
関わっています。

 それどころか、大西司令官を特攻の
責任者に祭り上げて特攻をやらせ、
自分は、特攻を賛美するものの、
責任は取らないという道を選んだ
ようでした。

 もうひとり、特攻作戦の責任者がいます。
それは、この後使われる各種の特攻兵器を
最初に開発を始めた人物です。

 それは、奇想天外の策によって山本長官に
寵愛を受けた黒島亀人参謀でした。

 黒島参謀は、山本長官の死後、軍令部第二部
(軍備や整備を担当する部門)の部長となり、
部員の浅野中佐に命じて、特攻兵器を考案
させました。1943年7月頃の話です。

 二人乗り豆潜水艇(海竜)、人間魚雷(回天)、
装甲爆破艇(震洋)などが開発されました。少将に
昇進した黒島参謀は、1944年4月に、これらの
特殊兵器のリストを軍令部部長の中沢少将に
提出しています。

 黒島参謀も、源田参謀と同様、若者たちを
兵器に乗せて自殺を強要する戦法を立案して
いながら、自身は全く責任を取らない道を
選んだことになります。

 源田参謀、黒島参謀とも、戦争指導部に
あるまじき非道な人物であり、ミッドウェー
海戦の敗戦責任をとって、源田参謀は赤城と
一緒に戦死すべきでしたし、黒島参謀は、
山本長官と一緒に軍法会議にかけるべき
だったと言えます。


紹介書籍:航空作戦参謀 源田実
著者:生出 寿


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