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源田実参謀 神風特別攻撃隊 [源田実航空作戦参謀]

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 関大尉を指揮官とする神風特別攻撃隊の
敷島隊、大和隊、朝日隊、山桜隊の4隊は、
10月21日~25日にかけて出撃しました。

 10月25日に、レイテ島東方でアメリカ
護衛空母群に体当たりを行い、護衛空母
1隻撃沈、2隻中破という戦果を
出しました。147機突入し、
7機が命中しました。

 これが特別攻撃隊の始まりでした。特攻して
戦死した方々には誠に申し訳ないことながら、
この時、戦果を上げてしまったことが、
この後の特攻作戦につながったと
言えます。

 この特攻隊に源田参謀は以下のように
関わっています。1944年10月3日
(台湾沖航空戦の二日目)に、源田
参謀は、以下の電報を起案しています。

 「神風攻撃隊の発表は全軍の士気昂揚、
並びに、国民戦意の振作に至大の関係
あるところ。

 各隊、攻撃実施の都度、純忠の至誠に
報ひ攻撃隊名(敷島隊、大和隊)をも併せ
適当の時期に発表のことに取計ひ度処。
貴見至急承知致度。」

 この電報は、神風特別攻撃隊が初戦果を
あげた翌日の26日に、軍令部から、
大西一航艦司令長官あてに発信
されました。

(追記)
 昭和30~40年代、源田参謀が参議院議員と
なった時に、学生が時の人を呼び、討論する
という番組に呼ばれています。

 その際、学生から「特攻隊にどう関わったの
ですか。」という質問を受けました。それに
源田参謀は、「軍令部を辞めたあとなので、
特攻隊とは関係ありません。」と答えて
いました。

 軍令部を辞めたのは、1945年1月15日であり、
内容そのものが、ちょっと調べれば分かる嘘を
言っています。しかも、上記の通り、深く
関わっています。

 この番組を見ていたかつての零戦乗りは、
「よくもぬけぬけと、ああいうことが
言えるな」と思ったようです。


紹介書籍:航空作戦参謀 源田実
著者:生出 寿


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