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巡洋艦最上 バリ島沖海戦 [巡洋艦最上]

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 2月中旬、最上らは、次期作戦基地として
アナンバス島を選んで、しばらく仮眠をする
ことになりました。

 アナンバス島は、洋上の群島で、
小ぢんまりした泊地を擁していました。
補給や潜水艦基地として手頃な湾でした。

 陸上にはこれと言った建物はなく、
崩壊した建物が2つほどあるのみでした。
戦隊は、できる範囲の警戒はしながら、
何かしらのんびりしたものがありました。

 2月24日この泊地を出港しました。
この極楽の海にも修羅の風が吹きはじめ、
来るべき一連の海戦が次々に起きました。
最初は、2月19日に発生したバリ島沖海戦
でした。

 この海戦は、日本軍の少ない駆逐艦隊を
見くびった敵巡洋艦と駆逐艦が、攻撃して
きたもので、日本軍は、不意打ちを受けた
ものの、猛然と肉薄する捨て身の戦法が
功を奏して大戦果をおさめました。

 そして、曾禰氏が最も大きな思い出と
評しているバタビア沖海戦が起こりました。
最上にとっての初陣であると同時に、
華々しい活躍と、感状という名誉を
勝ち得た海戦でした(とんでもない
大失態も演じていますが・・・)。

 バタビア沖海戦は、1942年2月下旬、
今村陸軍中将を指揮官とする陸軍部隊を
乗せた船団を、最上らが間接護衛と支援
任務をもって、行動していました。

 バタビア沖海戦に参加した巡洋艦は、
最上と三隈で、鈴谷、熊野はスラバヤ
方面で行動していました。

 前日の早朝、偵察機から敵艦隊発見の
報を受け、輸送船団は待機し、最上らは、
邪魔者を一掃すべく戦機の到来を待って
いました。


紹介書籍:重巡「最上」出撃せよ
著者: 「矢矧」井上芳太、「那智」萱嶋浩一、「熊野」左近允尚敏、最上:曾禰章、「五十鈴、摩耶」井上団平


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