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巡洋艦五十鈴 サイパン島に転送 [巡洋艦五十鈴、摩耶]

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 第二戦的任務に明け暮れていた
1943年11月下旬、第14戦隊の長良と
五十鈴(鬼怒は呉で修理中)に、クェゼリン
環礁内にあるルオット航空基地の人員、
物資をサイパン島に輸送せよという
命令が下りました。

 この年の11月21日には、第4艦隊の
警備地域であるギルバート諸島のタラワ、
マキン両島で、激戦のすえ圧倒的な兵力で
日本軍守備隊を全滅させ、これを奪回して、
次の攻撃目標はクェゼリン環礁に向けられる
であろうことは、決定的と思われました。

 そこで、ルオット基地の人員、資材を
サイパン島に転送することは、貴重な
航空要員、資材を確保するためにも、
極めて重大な仕事でした。

 11月末近くに、長良と一緒に、
ルオット基地沖に入港した時、おり
から作戦行動中の第二艦隊を主力とする
大部隊が、泊地を出港した直後でした。

 これらの艦隊は、ギルバート作戦支援の
ために、この方面を行動していましたたが、
アメリカ軍の作戦成功により、その任務を
解かれ、撤退したものと考えられました。

 こうなると、ギルバート作戦に参加した
敵部隊が、いつ矛先をこのクェゼリンに
向けるかわからない心配はありましたが、
必要最小限の警戒態勢で停泊しつつ、
すぐに輸送の準備をはじめました。

 艦長と陸上の打ち合わせが終わり、その晩は、
そのままの態勢で停泊することになりましたが、
この時、ちょっとの警戒の緩みを生んでいました。

 これが、五十鈴をまたも、危機一髪の危地に
陥れることになりましたが、井上氏には、
知る由もありませんでした。


紹介書籍:重巡「最上」出撃せよ
著者: 「矢矧」井上芳太、「那智」萱嶋浩一、「熊野」左近允尚敏、最上:曾禰章、「五十鈴、摩耶」井上団平


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