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巡洋艦五十鈴 井上氏、巡洋艦摩耶に転属 [巡洋艦五十鈴、摩耶]

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 ルオット沖で、二度目の大きな痛手を
受けた五十鈴は、乗員の奮闘により、
九死に一生をえて、1943年のうちに、
修理のため、内地に帰還しました。

 しかし、戦局が不利なことを国民に知られる
ことは大本営の戦闘指導上、極めて具合が
悪いということで、艦の損傷状況や、行動の
様子などは、いっさい厳秘にされ、乗員の
家族にも知らされませんでした。

 1944年正月、久しぶりに家族と過ごす
ことになった井上氏は、田舎の長兄が身を
案じてくれたのか、上京して一緒に過ごして
くれました。

 南方で、血で血をあらそう激闘が連日
繰り返されている時、ゆうゆうとした
正月を家族で過ごすのは、前回の
正月同様、いささかちぐはぐなものが
ありましたが、一人の人間としては、
やはりうれしいことでした。


 五十鈴の修理が順調に進んだ3月21日に、
井上氏は、巡洋艦摩耶へ転勤が発令され
ました。

(追記)
 五十鈴は、この後、レイテ沖海戦で、
小沢中将の指揮する第一機動隊に参加し、
防空や、千代田の曳航命令などをこなし
ましたが、千代田が撃沈したことで断念し、
呉に帰還しています。

 その後も、五十鈴は休むことなく、輸送
任務につき、敵潜水艦の雷撃を受け、
シンガポールで応急修理して、インド
ネシア海域での駐屯部隊になって
います。

 そして、1945年4月に、オーストラリアの
爆撃機と、アメリカ潜水艦の攻撃を受け、
撃沈しています。

 22年に及ぶ生涯でしたが、老朽艦と
言われながら、活躍した軽巡艦と言える
戦歴です。


紹介書籍:重巡「最上」出撃せよ
著者: 「矢矧」井上芳太、「那智」萱嶋浩一、「熊野」左近允尚敏、最上:曾禰章、「五十鈴、摩耶」井上団平


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