SSブログ

巡洋艦摩耶 B29 [巡洋艦五十鈴、摩耶]

スポンサーリンク
(adsbygoogle = window.adsbygoogle || []).push({});



 井上氏は、外出が許され、自宅に戻りましたが、
くつろぐ暇もなく、摩耶の後始末で、横須賀に
行ったり、東京に赴いたりする毎日が続きました。
そして、仕事の合間を縫って、横須賀の
海軍病院で負傷の治療をしていました。

 ある日、突然空襲警報が、横須賀市内に
流れました。井上氏は、その日はちょうど、
海軍病院で治療を受ける日で、横須賀市内に
居合わせていました。早速、病院の空襲壕に
飛び込みました。

 防空壕の中で状況をうかがっていると、
どうも敵機は1機だけで爆撃を加える様子も
ありませんでした。そのうち、空襲警報が
とかれて、地上に出た井上氏は、上空を
ながめました。

 そこには、B29が15000mの高度で、
東京の方に向かっていくのが見えました。
砲台の高角砲は、時折発砲しているものの、
距離が遠く、弾丸が届きそうもありません
でした。忌々しいと思いましたが、
どうしようもありませんでした。

 このB29は、サイパン基地から、日本本土の
爆撃を強行するため、最初に偵察にきたもので
あったことが分かりました。

 ここから、終戦に至る10ヶ月の間、多くの
国民と住居や資源が、痛めつけられたか
分かりませんでした。今思っても、恨み
骨髄に徹する爆撃機ではあるとしています。


 12月に入り、負傷の治りも良くなり、
いつまでも遊んでいられないと考えている
うちに、第22戦隊司令部付に発令
されました。この戦隊は、遠洋漁業船を
160隻ほど保有している哨戒部隊
でした。

 母艦に引き連れられて、交代で小笠原南方
海面に出動し、敵艦隊や、内地空襲部隊の
来攻をいち早く大本営に伝える任務を
持っていました。


紹介書籍:重巡「最上」出撃せよ
著者: 「矢矧」井上芳太、「那智」萱嶋浩一、「熊野」左近允尚敏、最上:曾禰章、「五十鈴、摩耶」井上団平


スポンサーリンク



nice!(0)  コメント(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。