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赤城・加賀 ポートダーウィン攻撃 [航空母艦「赤城」「加賀」]

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 ポートダーウィンには、多数の艦船が 在泊していました。これは偶然にも、 オーストラリアとアメリカの両陸軍が、 日本の先手を打って、チモールを 攻略すべく、集結していたからでした。  アメリカとオーストラリア混成部隊は、 2月15日にポートダーウィン港を出発 していました。しかし、翌日に日本軍の 哨戒艇に発見され、ポートダーウィンに 引き返しています。  2月19日に、日本の空母4隻から 攻撃隊が出撃しました。赤城からは、 戦闘機9機、攻撃機と爆撃機各18機、 加賀からは、戦闘機9機、攻撃機27機、 爆撃機18機が出撃しました。  この日に、赤城と加賀から出撃した 攻撃隊は、全攻撃隊の60%に 達しました。  攻撃機は、800kg爆弾を搭載し、 爆撃機は、250kg爆弾を搭載 していました。  攻撃は、午前8時40分頃始まり ました。オーストラリア軍は、9機の 戦闘機で迎撃しました。  この当時、日本は、高い練度を誇る パイロットがそろっており、実戦経験の ないオーストラリア軍の戦闘機は、全て 撃墜されることになりました。  さらに、日本の戦闘機は、周辺に存在する 飛行場に超低空から機銃掃射を行い、在地 航空戦力全て破壊しました。艦船への攻撃も 徹底して行われ、駆逐艦1隻、貨物船8隻、 油槽船1隻を撃沈するという戦果を 上げています。  この後、ポートダーウィンが、日本軍に 対する反撃を行うのは、1943年5月頃からで、 航空部隊の戦力増強ができてからとなりました。 紹介書籍:航空母艦「赤城」「加賀」 著者: 大内 健二


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