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赤城・加賀 歴代艦長 [航空母艦「赤城」「加賀」]

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 著書では、赤城と加賀の歴代の艦長の中で、 主な人を紹介しています。目につくのは、 殆どが、後に提督に昇進し、要職に ついたことです。  赤城は、21人の艦長が就任しています。 有名なところでは、三代目の山本五十六大佐 (後の連合艦隊司令長官)と、草鹿龍之介大佐 (後の参謀長)です。  最後の青木艦長ですが、駆逐艦に避難した ことで、ミッドウェー海戦に参加した 4空母の中で、唯一生き残った艦長と なりました。  しかし、生還したことで、海軍部内から 激しい突き上げがあり、理不尽にも 辞職する責任を取らされています。  加賀は、15人の艦長が就任しています。 最後の岡田艦長は、戦死により、少将に 特別進級しています。これは、蒼龍の柳本 艦長、飛龍の加来艦長も、戦死後、少将に 特別進級しています。 (追記)  赤城の青木艦長に対する処分は、理不尽 としか言いようがありません。ミッドウェー 海戦の敗戦責任は、いい加減な作戦を 決行した上に、敵前逃亡している 山本五十六長官が筆頭であり、 死刑相当と言えます。  次の責任は、赤城に乗っていた、南雲機動 長官と、司令部の草鹿参謀長、源田参謀らだと 言えます。辞職の責任を取る必要があるのは、 これらの人物だと言えます。  南雲長官や草鹿参謀長は、敵前での兵装 転換という、山口少将が絶対すべきでないと 進言していたことを実行しており、その結果の 敗戦ですので、重罪といえます。  山口少将を見習って、赤城と運命を共に すべきだったと言えます。ミッドウェー海戦の 敗戦責任者である、山本長官や草鹿参謀長 が赤城の艦長だった事あるというのは、 皮肉と言えます。 紹介書籍:航空母艦「赤城」「加賀」 著者: 大内 健二


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