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赤城・加賀 あとがき [航空母艦「赤城」「加賀」]

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 最後にあとがきを紹介します。赤城と 加賀は、日本海軍の空母発展過程を 語る上で、最も重要な艦といえます。  多段式飛行甲板型の空母として誕生 しながら、この構造は、航空機の発達に 伴い運用困難となりました。  結局単純な一段式飛行甲板型の空母に 改造されることになりました。この頃、 航空兵器や、空母の装備品は、日進月歩 でした。特に航空機は、急速な発達を しています。  赤城や加賀が、建造されていた時の 第一線用の航空機は、5年後には旧式化 していました。そのため、設計当初の 思考は、完成の頃には時代遅れに なっていた恐れがありました。  一段式飛行甲板への改造は、遅きに 失したと言えますが、この間に、大規模な 航空戦がなかったことが幸いでした。赤城と 加賀は、改造により、一流の近代空母に 進化しました。  もちろんのことながら、後の開発された 高性能の空母と比較すれば、欠陥は存在 しますが、煙突や艦橋は申し分のない 設計だったと言えます。  密閉式の格納庫であったことで、実戦に おける悲劇を生みましたが、飛行甲板を 貫通することがないような防御がされて いれば、違った展開になっていただろうと しています。  戦争の禁句であるイフとして、ミッドウェー 海戦が成功していたら(山口少将が、連合 艦隊司令長官としてミッドウェー海戦を 指揮していたら、成功した可能性が 高いといえます。)、赤城や加賀が この後どのような活躍をしたのか ということに、興味が尽きないと 言えます。 紹介書籍:航空母艦「赤城」「加賀」 著者: 大内 健二


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