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巡洋艦大淀 術科学校の勉強 [巡洋艦大淀]

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 海兵団入団当初、小淵氏は、出身県による 言葉使いやなまり、気風の違いに戸惑い ましたが、横須賀海軍砲術学校は、一層 はなはだしく、容易に解け合いそうに ありませんでした。  そのため、しばらくは、鎮守府別の対抗意識が はびこっていました。しかし、それも、同年代の 志を同じくする者であると理解してからは、 兄弟以上の親しい間柄になっていきました。  海兵団教育時に、術科学校の厳しさを 説かれてた小淵氏らは、皆が固い決意を 持って、入校してきていましたが、思った ほどの厳しさではありませんでした。  それは、この学校では、主として専門的な 教科が多く、渡される教科書は、赤い表紙の 機密書類で、ほとんどが軍事秘と印がされて おり、課業はじめの時に渡され、終わった時に 回収されたため、吊床で勉強することは できませんでした。  機密でない教科はそれほど勉強する必要は なく、厳しい勉強ではありませんでした。  砲術学校でも、横須賀市内に各班ごとの 下宿が指定されました。まだ一等水兵なので、 外泊は許されませんでしたが、外出時に 下宿で昼食が用意されました。  小淵氏がいる5班は、海軍工廠に勤める 渡辺さんという人の家が指定されました。 隔週の日曜日にその家に行き、すこし ばかり家族的な雰囲気を味わうことが できました。  さらに、山育ちの小淵氏は、この頃には、 山が恋しくなっていました。そのため、鎌倉の 山中を散策しながら、故郷では栗の実や 柿などが熟れる頃だろうと考えていました。 紹介書籍:“巡洋艦「大淀」16歳の海戦 少年水兵の太平洋戦争” 著者: 小淵 守男


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