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巡洋艦五十鈴、摩耶 ブログトップ
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巡洋艦摩耶 「山雨いたらんとして、風桜に満つ」 [巡洋艦五十鈴、摩耶]

 井上氏は、いずれにしても、明朝から
起こるであろう激戦に備えるために、充分に
睡眠をとることが大切と考え、10時頃、
空き部屋のベッドで、ぐっすりと眠りました。

 10月24日、シブヤン海の真っ只中に
入った艦隊は、早朝から対空警戒航行
隊形である輪型陣を作って、18ノットの
速力で快進撃を続けていました。

 やがて、日の出前後の時間に入ると、
はやくも水平線の彼方に、敵の触接機が
現れました。予期された空襲の第一波は、
午前10時ごろにおとずれました。

 雲霞のような小型機の大群は、まずレーダーに
補足された後、ついで双眼鏡の視界にも出現
しました。もちろん艦隊は、全機撃墜の構えで、
あらゆる対空砲火を準備していました。

 手ぐすね引いて待機している状態は、
「山雨いたらんとして、風桜に満つ」
という言葉が、ピッタリの雰囲気でした。

 敵機は、刻々と近づき、艦隊の砲火が一斉に
発射されるころには、分散隊形をとり、次々に
攻撃隊に移りました。

 次の瞬間、そこに現出した場面は、すさまじい
決戦の修羅場でした。撃墜される敵機、全対空
砲火器のはげしい発射音、急降下爆撃による
命中音、艦橋にうずまく戦闘指揮の怒声、
まさに、この世の地獄ともいえました。

 しかし、これも歴戦練磨の艦隊将兵には、
慣れっこになってしまった風景で、そのために
錯誤が起こることはまずないといって、
良かったと言えました。

 それでも恐ろしいのは、敵機の急降下攻撃と、
魚雷攻撃でした。これは、一発でも艦に命中
すれば、駆逐艦などの小艦艇は、吹っ飛んで
しまう威力を持っていました。


紹介書籍:重巡「最上」出撃せよ
著者: 「矢矧」井上芳太、「那智」萱嶋浩一、「熊野」左近允尚敏、最上:曾禰章、「五十鈴、摩耶」井上団平
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巡洋艦摩耶 戦艦武蔵に移る [巡洋艦五十鈴、摩耶]

 井上氏は、岸波で風呂にはいれたことで、
人間らしい気持ちを取り戻せましたが、摩耶と
運命をともにした戦友たちのことを思い、
艦隊に課せられた重責を考えると、
やはり、気が気ではありませんでした。

 一時の混乱は、全くおさまって、艦隊は、
陣形を整え直すと、レイテ島に向かって、
再び驀進を再開していました。暗くなった頃、
救助された摩耶の乗員は、戦艦武蔵に
乗り移っていました。

 10月23日の夜は、武蔵に乗ったまま、
暗黒のシブヤン海に入りました。この間にも、
艦隊は警戒航行隊形を作って、とくに
対潜水艦の見張りを厳重にして、
一路足を早めていました。

 午後9時頃、井上氏が武蔵の艦橋に登って
みると、艦隊の前路には、敵の潜水艦が
待ち受けているらしく、旗艦の大和からの
緊急電話司令によって、各艦は忙しく
回避運動を行っていました。

 暗夜の高速運転中のこととて、ちょっとでも
舵を取り違えると、いつ衝突の惨事を招かないとも
限らないので、大して気にすることもありません
でした。

 それよりも、明日の24日に、いかに対空戦闘を
突破して、レイテ島付近にとりつくすかが、
問題でした。しかし、就寝をひかえた歴戦の
士官たちは、それを気にしたふうもなく、
士官室でくつろぎ、雑談に花を咲かせて
いました。

 明日の対空戦闘では、武蔵は、敵機の爆弾を、
タライに雨が降り注ぐように受けながらも、その
強力な対空砲火と鉄板の暑さにものいわせて、
シブヤン海を突破するだろうと、運用長がおかしく
話すのを聞き、頼もしくなったとしています。


紹介書籍:重巡「最上」出撃せよ
著者: 「矢矧」井上芳太、「那智」萱嶋浩一、「熊野」左近允尚敏、最上:曾禰章、「五十鈴、摩耶」井上団平
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巡洋艦摩耶 撃沈 [巡洋艦五十鈴、摩耶]

 摩耶に艦橋付近に、海水が襲ってくるように
なってきました。井上氏は、とっさに靴を脱ぐと、
泳ぎ始めました。艦長はと見れば、雨衣を
着たまま、特長あるひげづらで、井上氏の
後に続いていました。

 井上氏は、とにかく摩耶が沈没する際の、
渦に巻き込まれるのを避けるため、大急ぎで
舷側を離れました。そして、懸命に泳いだ後、
海面に頭を上げると、井上氏の周囲には
航海科の部下が数人、浮遊物につかまって、
泳いでいました。

 摩耶はと目を走らせると、艦尾を高く空中に
あげて、まさに沈没しようとしていました。
しかも、シャフトの先に突き出ている
スクリューは、断末魔のあえぎのように、
まだ、ゆるやかに回っていました。

 井上氏は、とたんに愛惜と皮相の感にうたれ、
消えようとする最後の勇姿に向かって、大声で
「軍艦摩耶万歳」と叫んでいました。側を泳いで
いた数名の乗員が、井上氏の気を察してくれた
のか、一緒に昇和してくれました。

 こうして、重油と秋冷の海を泳ぐこと約3時間、
疲れ切った体を救助にきた駆逐艦のボートに
助け上げられた時には、さすがにホッとしました。

 しかし、一緒に泳ぎ始めた頃まで確認していた
大江艦長の姿は、二度と見ることはできません
でした。

 重油にまみれた井上氏を救ってくれたのは、
駆逐艦岸波でした。艦上によじ登って
助けられたと思った瞬間、さすがに
疲れが出て、ぐったりしがちに
なりました。

 重油で痛む目をおさえつつ、乗員が心を
尽くしてわかしてくれた風呂にとっぷりと
浸かることになりました。


紹介書籍:重巡「最上」出撃せよ
著者: 「矢矧」井上芳太、「那智」萱嶋浩一、「熊野」左近允尚敏、最上:曾禰章、「五十鈴、摩耶」井上団平
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巡洋艦摩耶 魚雷命中 [巡洋艦五十鈴、摩耶]

 潜水艦攻撃の号令で忙しい艦長を認め、
井上氏は、とっさに情勢の非なるを見て、
「もどせ。取舵いっぱい。両舷機関
前進いっぱい。」と、下令しました。

 この時、艦首はまだ、面舵に回り始めて
おらず、井上氏の命令で、舵は、「急速取舵」に
とられました。雷跡は、左前方から近づいて
きますが、艦首は、回頭を始めようと
しませんでした。

 その間も、水中聴音機室から、魚雷音の
近接を、悲痛な声で報告してきました。
この時、井上氏は、海面に目をやり、
敵の魚雷が4本であることを知りました。

 進退ここにきわまったと感じました。
井上氏は、腹を決め、艦橋後部にいた
副長は、次の瞬間に起こる修羅場を
考えて、早くも「防水」を令して
いました。

 その時、第一魚雷が第二砲塔左舷に
命中し、黒煙を天高くふきあげて、
爆発しました。

 続いて、第二~第四の魚雷が、艦橋
後方に次々に命中し、ドスンドスンという
鈍い音と、船体の身ぶるいする音が
聞こえ、摩耶は、急速に左舷に傾いて
いきました。

 全てが一分以内の出来事で、何を
する暇も、すべもありませんでした。
それでも摩耶は、第一魚雷爆発の
黒い煙をかいくぐって、進んで
いきました。

 弾薬庫に当たれば、轟沈すること必定と
覚悟を決めていましたが、幸いにその様子は
ありませんでした。しかし、轟沈を免れたに
しても、摩耶は急速に傾いて刻々と沈没
しており、眼下にははやくも海水が
見えだしました。

 これまでと思った井上氏は、艦長を
うながして、離艦をすすめました。
後ろを見ると、大傾斜した艦側に乗員が
すずなりに集まって、海中に放り出されて
いました。


紹介書籍:重巡「最上」出撃せよ
著者: 「矢矧」井上芳太、「那智」萱嶋浩一、「熊野」左近允尚敏、最上:曾禰章、「五十鈴、摩耶」井上団平
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巡洋艦摩耶 魔の時刻10月23日午前6時30分 [巡洋艦五十鈴、摩耶]

 艦隊は、出撃した翌朝には、はやくも
パラワン水道の南口にかかりました。

 この付近はもとより、敵潜水艦の待ち伏せを
受ける公算が大きかったので、対潜警戒航行
隊形のまま、未明から総員配置につけて、
見張りを厳重にしていました。

 やがて、井上氏が、戦後も忘れられないという
魔の時刻10月23日午前6時30分がきました。
この時、艦隊左翼列先頭を走っていた旗艦
愛宕に、突如として敵の魚雷が4本命中し、
たちまち沈没しました。

 続いて二番艦高雄も、日本の魚雷が命中し、
大破損しました。たちまち、隊列は大混乱に
おちいり、右翼列から、三番目にあった摩耶は、
さらなる厳重な見張りで、警戒していました。

 ところが、午前6時53分、敵魚雷が4本、
摩耶に襲いかかってきました。この時、
井上氏は、航海長として摩耶艦橋で操縦
しており、かたわらには、大江艦長が立って、
全般の指揮をとっていました。

 それだけに、このときの悲惨な様子は、
戦後もはっきりと回想できるとしています。
愛宕、高雄の被雷後、まもなく艦底に近い
水中聴音機室から、「魚雷音、左30度」の
報告が届けられました。

 急ぎ、その方面に視線を向けるより速く、
艦長は、「面舵いっぱい」を命じました。
一瞬、井上氏の目にも、雷跡が白い筋を
引きながら、左前方から近づいてくるのが
認められました。

 舵は、面舵にとられており、艦首は、
右方向に回り始めてようとしていました。
しかし、左前方に雷跡を見て、面舵をとると、
艦の左舷に垂直に、魚雷が命中することに
なります。

 ふと、艦長を見ると、潜水艦攻撃の号令を、
次々にかけていました。


紹介書籍:重巡「最上」出撃せよ
著者: 「矢矧」井上芳太、「那智」萱嶋浩一、「熊野」左近允尚敏、最上:曾禰章、「五十鈴、摩耶」井上団平
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巡洋艦摩耶 レイテ沖海戦前夜 [巡洋艦五十鈴、摩耶]

 敵艦隊は、スルアン島に引き続き、レイテ島に
上陸を敢行する模様という報告が、リンガ泊地の
栗田艦隊に届けられ、艦隊には、大本営から
作戦開始が命令されました。

 そこで、ブルネイ湾で燃料を補給した艦隊は、
10月22日早朝に、敵を求めてパラワン水道を
経由して、シブヤン海、サンベルナルジノ海峡を
通って、フィリピン東方海上に向かいました。

 前夜の21日の夕食は、決戦を目前に控えての、
大盤振る舞いでした。摩耶艦長の大江覧治大佐は、
旗艦愛宕の栗田司令官をたずね、最後の挨拶を
交わすと共に訓示を受けました。

 摩耶に帰還すると、総員を甲板に集めて、
祖国存亡を決する大海戦にのぞむ各員の
決心と覚悟をうながされました。この時、
満場しゅくとして声なく、各員の覚悟は、
その眉宇にみなぎっていました。

 やがて訓示が終わると、尾頭つき鯛や
肉料理で夕食が始まり、酒やビールも
ふんだんに出されました。

 この明日も知れぬ将兵に対する最後の
ご馳走に、すでに死を覚悟している乗員は、
なんら暗い表情もみせず、飲んで騒いだ後、
早々に寝につきました。

 ブルネイ泊地を出撃した後の航路、
航行隊形、作戦方針などは、計画書に
決められてあったので、諸作業は、
なんらの渋滞もなく、次々に
進められていきました。

 潜水艦のいそうな海面では対潜
警戒航行序列で、縦に長い隊形をとり、
航空機の来襲しそうな海面では、対空
警戒隊形をとりましたが、長年の訓練で
こんな運動は、自由自在に行われました。


紹介書籍:重巡「最上」出撃せよ
著者: 「矢矧」井上芳太、「那智」萱嶋浩一、「熊野」左近允尚敏、最上:曾禰章、「五十鈴、摩耶」井上団平
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巡洋艦摩耶 暗雲低き日本本土 [巡洋艦五十鈴、摩耶]

 ある日、井上氏は、日曜日を利用して、
横浜に済む友人を訪ねました。一通り挨拶が
済んだ途端、その友達から「日本は大丈夫で
しょうか。」と、聞かれて、内心ゾッとしました。

 国内資源の状況や、戦闘の経過を知らせる
ことは、井上氏にとって、たやすいことでしたが、
摩耶が、どんな行動をして、いつ戦闘し、どんな
損傷を受けたかは、関係のない人に話すのは
厳禁でした。

 そこで、「陸海軍の部隊が現存する限り、
日本が負けることは絶対にない。長い戦争の
間には、新聞に発表されるような不利な
状況になることもあるが、けして心配する
ことはありません。」と、一瞬戸惑った後に、
返答しました。

 友人はなるほどとうなずいたものの、
疑いの気持ちは、覆うべくもありません
でした。実際は、日本本土には、暗雲が
かなり低い高度で立ち込めていたと
言えます。

 1944年10月20日、アメリカ軍が、
フィリピンのレイテ島に上陸して、
フィリピンの奪回に取り掛かりました。

 この前に、アメリカ軍は、ペリリュー、
モロタイの両島を手中におさめ、次の
攻撃目標がフィリピンであることは
予期していました。

 そこで、日本軍は、なけなしの兵力を
振り絞って、敵の来攻にそなえました。
しかし、艦船を揃えても、燃料、弾丸、
航空機がないという、ないないづくめ
でした。

 しかも、この作戦は、外地における最後の
砦として、敵を一挙に撃滅しようという作戦で
あったため、計画や準備に従事する将兵の
覚悟は、言語に尽くせぬ悲愴なものが
ありました。


紹介書籍:重巡「最上」出撃せよ
著者: 「矢矧」井上芳太、「那智」萱嶋浩一、「熊野」左近允尚敏、最上:曾禰章、「五十鈴、摩耶」井上団平
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巡洋艦摩耶 3回目の内地帰還 [巡洋艦五十鈴、摩耶]

 6月20日夕刻、傷心の艦隊は、沖縄の
中城湾に重い足どりでたどりつき、投錨
しました。

 マリアナ沖海戦で左舷側に無数の破孔を
生じた摩耶は、修理を受けるため艦隊と別れ、
横須賀に向かいました。

 井上氏にとって、五十鈴から数えて、通算
3回目の内地帰還でした。3回とも敵の
爆撃による被害で、危機一髪の難を
逃れて、内地に帰還していました。

 爆撃回避に関する限り、航海長である
井上氏は、自らの至らなさもあるのではないか、
あるいは、爆撃回避運動に対する新しい方法が
考案されているかも知れない、などと考えていました。

 そこで、入港早々、航海学校や、砲術学校の
意見を聞いたり、資料集めをして、自分の腕に
自信をつけようと、修理期間を利用して
泥縄式の観もありましたが、猛勉強を
しようと計画しました。

 摩耶の損傷は、比較的軽く、通常であれば
修理期間は短くて済みましたが、国内の
生産資材の供給が思わしくなく、修理用の
材料も手に入らないものがあり、ともすれば
工期も遅れがちでした。

 修理を待ちわびている間、サイパン、
グアム、テニアンと、表南洋の要衝は
次々にアメリカ軍に占領されていき、
新聞やラジオで守備隊の全滅が伝わると、
国民の声なき声は、日本軍敗色に
気が付き始めました。

 しかし、厳重な言論統制下にある
国内では、めったな口などきくことも
できず、戦局の実情を知っているものは、
ごく一部の階層でしかありませんでした。


紹介書籍:重巡「最上」出撃せよ
著者: 「矢矧」井上芳太、「那智」萱嶋浩一、「熊野」左近允尚敏、最上:曾禰章、「五十鈴、摩耶」井上団平
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巡洋艦摩耶 6月19日が終わる [巡洋艦五十鈴、摩耶]

 摩耶は、敵機と1時間ほど交戦しました。
被害は、艦側の至近距離で爆発した一発により、
左舷側に無数の小孔があき、機銃員十数人の
死傷が、あったことが分かりました。

 また、舷側のバジルに若干の浸水があり、
二度ほど左に傾いていましたが、戦闘航海に
支障はありませんでした。このような対空戦闘が
3回ほど続いて、ようやく6月19日が
終わりました。

 井上氏には、戦況がどうなっているのか、
全くつかめませんでした。味方の航空攻撃の
成果と、敵艦隊の確実な所在を知るため、
あらたな情報が来るのを待っていましたが、
旗艦の大鳳から何の音沙汰もありません
でした。

 そのうち、大鳳が敵潜水艦の攻撃を受け、
沈没したらしいという情報が伝わって
きました。井上氏は、この情報を聞き、
日本軍の戦勢が、完全に不利になった
気がしました。

 そこに、航空攻撃も、ほとんど成果もなく、
大部分が敵艦上機の餌食になって撃墜
されたらしいという情報もあり、水上部隊は、
不安な気持ちのまま、夜暗を迎えました。

 その後は、水上部隊が、夜襲部隊を編成し、
夜戦による決戦を企図して、東方200海里にある
敵艦隊を求めて進撃しました。しかし、昨日からの
戦闘行動で、燃料を使い果たしており、作戦を
中止して反転するしかありませんでした。

 全軍、粛として西進する暗夜の洋上には、
味方油槽船が昼間の敵襲で攻撃を受け、
夜空をこがして炎炎と燃え、哀れを
とどめていました。

 サイパン島の陸上戦闘も、はかばかしい進展を
見ていない情報が伝わっており、皇国の行く末を
案じて、暗澹たるものがありました。


紹介書籍:重巡「最上」出撃せよ
著者: 「矢矧」井上芳太、「那智」萱嶋浩一、「熊野」左近允尚敏、最上:曾禰章、「五十鈴、摩耶」井上団平
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巡洋艦摩耶 対空戦闘 [巡洋艦五十鈴、摩耶]

 味方機を砲撃したと知り、直ちに
停止されましたが、大変なミスをしたと
しています。味方機に被害はありません
でしたが、冷汗三斗との思いでした。

 井上氏は、このことで、前途に一抹の
不安を感じました。味方機は、敵艦隊撃滅の
闘志をみなぎらせて、東方に機影を没して
いきました。

 目指す敵艦隊に到達して、かつての
ハワイやマレー沖海戦のような大戦果を
挙げることを期待して、祈る気持ちで空を
見つめました。

 そうこうするうちに、再びレーダーに
小型機の編隊をキャッチしました。今度は
敵機に違いないと、摩耶の対空砲は、
全神経をこれに集中して待機しました。

 すると、敵の空母から発進したおなじみの
グラマンが、次々と視界内に現れて、攻撃準備に
入っていきました。重巡洋艦部隊は、速力を
あげながら迎え撃ち、一斉に砲門を開きました。

 敵機は、四方八方から急降下攻撃に
移ってきました。井上氏は、艦橋で、
操艦に専念しており、見張員の報告に
よって、彼我の態勢を頭に描きつつ、
転舵回避の時機を待ちました。

 敵機が本艦に対して急降下に移った時、
「面舵いっぱい。両舷前進いっぱい。」と
号令を発していました。摩耶は、速くも
回避運動をはじめ、後は対空砲火の威力と、
投下爆弾の行方を待つのみでした。

 息をつめる一瞬がすぎて、轟然一発、敵の
放った爆弾が摩耶の艦側に炸裂し、2機が
もんどりうって海中に突入していきました。
阿修羅の場面とは、まさにこの瞬間を
言うのだろうとしています。


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