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雪風、第一波の空襲を切り抜ける [雪風]

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 敵機から雪風への砲撃は、艦橋にぴたりと照準を据えて
機関銃を乱射しながら降下してきました。田口砲術長は、
敵機の機関銃の発砲が、雪風からの発砲が敵機に
当たっているという錯覚を生じるほど正確でした。

 そうしている内に、爆撃機からの450kg爆弾が投下され、
艦橋に向かってきました。この時も、寺内艦長の転舵で
回避し左舷に水柱が生じました。直撃はしていない
ものの至近弾なので、多くの穴が生じています。
至近弾の破片で、雪風内でもけが人が続出して
います。

 雪風内の若い兵士は、ショックを受けていましたが、年配の
方から、「うちの艦長は操艦日本一だから任せておけば大丈夫」
と微笑んでおり、冷静になれたという話があります。

 第一波の空襲が終わったとき、田口砲術長のところに煙が
来たので何かと思ってみると、寺内艦長が、天蓋から首を
出してタバコを吸っていました。悠々としていると思った時、
「鉄砲は当たらんのう」と声をかけられ、謝ったところ、
今度は弾を惜しまなくていいのでどんどん撃てと
言われました。

 呉の空襲時、雪風は15000発の機銃を撃ったことで、もっと
有効に使えと怒られたことをいっています。今度は倹約する
必要はないのでありったけ撃てば良いと考えている時に、
第二波がきました。

(追記)
 この作戦に一緒に参加している駆逐艦霞ですが、朝潮型 10番艦で、
艦これにも登録されている駆逐艦です。開戦初期から、連合艦隊
最後の勝利と言われたミンドロ島沖海戦(礼号作戦)まで、従軍
している武勲艦です。

 ミンドロ島沖海戦は、1944年12月26日に、8隻の駆逐艦で、
ミンドロ島を攻撃したもので、キスカ島の奇跡の撤収作戦を指揮
した木村司令官の柔軟な対応により、成功と言える戦果を挙げ
た海戦です。

 霞の活躍は、戦闘そのものよりその後にあります。
ミンドロ島に向かう途中、僚艦の清霜が撃沈されました。木村司令は
後から助けに来るといって、作戦を優先しています。攻撃完了後、
木村指令が乗艦している霞と朝霜で、清霜の救出に向かい、
258名の乗員を救助しています。

 霞に限らず、この時期に生き残っている駆逐艦は、かなり武勇を
誇れる艦が揃っていました。


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