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雪風、寺内艦長の退艦 [雪風]

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 佐世保に帰投した雪風に、4月15日付けで第二水雷戦隊が
解隊されたことを知りました。日本海軍最強の水雷戦隊と
言われた歴史を閉じることになりました。

 第二水雷戦隊が解隊された後、雪風は、大和の特攻作戦の
生き残りである、初霜と第三十一駆逐隊に編入されています。
5月10日に、寺内艦長も療養のため退艦することになりました。

 雪風では、寺内艦長を失うことは悲しみであり、同時に守護神
がいなくなり、ツキもなくなるのではという思いがありました。
寺内艦長は、田口砲術長に、「雪風に乗っていれば大丈夫だ。
しっかりやってくれ」と言葉をかけています。

 寺内艦長が退艦した後、雪風は天橋立で有名な宮津湾へ、
初霜と一緒に向かっています。ここで、陸上にある砲術学校の
練習艦という役目を命じられています。しかし、動かすための
油も少なく、この命令は一度も実施されませんでした。

 湾内の警備の任務と、休暇というのが実態でした。雪風と
しては珍しい日本海側での休暇でした。天橋立での水泳
訓練や釣りに興じていました。しかし、6月22日に沖縄が
陥落し、本土への空襲は必須と考えられていました。

 7月30日に、空襲があり、雪風は最後の戦闘をすることに
なります。

(追記)
 7月24日、28日の2日に渡り、雪風の母校である呉が
空襲を受けています。この当時、大型艦艇は燃料不足で
動けず、呉のあちこちに配置され、陸から電源供給を受ける
有様でした。

 必死の対空戦闘をしたものの、戦艦榛名、伊勢、日向等
歴戦の大型艦が、大破または着底(沈没したものの、海底
が浅いため一部が海面に出ている状態)、転覆しました。
これらの船は戦後解体され、鋼材が利用されています。


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