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雪風、宮津湾にて玉音放送を聞く [雪風]

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 空襲があった夕刻、宮津湾入口の漁港で、雪風に網をかけ、
竹や木をさして、小島に偽装しています。その後は、交代で、
上陸し休養しています。雪風が戦闘をすることはないという
判断です。機銃などの武器は陸揚げして、防空砲台を構築
しています。

 ここまで来る時、機雷をどう突破するかが問題でしたが、
高速で爆発する前に抜けるという結論になり、実行して
います。幸い爆発せずにくぐり抜けています。

 8月15日に、玉音放送があり、日本が降伏したことを知りました。
雪風の乗組員は、あれだけ戦ったのに敗けたという思いと、雪風は
よく生き残ったという感慨がありました。

 開戦時の新鋭艦である、陽炎型、ほぼ同型の朝潮型、改造型の
夕雲型全部で48隻建造され、雪風以外全て失われています。

 終戦の日、雪風は第四十一駆逐隊に編入され、3日後舞鶴に
入港しています。8月26日に、第一予備隊になり、機関科や
航海科以外の乗組員は、郷里に帰っています。

 田口砲術長も、雪風と行動を共にして、「雪風一家」と言える雰囲気に
慣れたこともあり、寂しさとやれるだけやったという満足感がありました。
田口砲術長も、退艦しており、手記はここで閉じられています。

 雪風には、この後も任務がありました。

(追記)
 雪風と一緒に大和の護衛をして佐世保に帰還した涼月ですが
修理を受け、浮き砲台として利用された後、若松港の防波堤と
して利用されています。

 冬月も防波堤となっており、戦後の経済復興に一役買ったと
言える生涯を送っています。


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