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響、不気味な出撃 [響]

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 1945年3月下旬に、全員居住区へ集合の命令がかかり、
集まっています。そこで、宮川機関員は奇妙な命令を受けて
います。

 「封筒を2枚渡すから、各自の爪と頭髪を、少しずつでいい
から入れて封をし、氏名を書き込んで分隊士まで渡すように」と
いうものです。

 これが、遺髪を入れるものだということは分かったので、これから
重要な作戦かも知れないと想像は出来ました。しかし、作戦に
ついては、一切話がなかったので、不満をぶちまけていました。

 何も聞かされないままに出港し、備後水道を21ノットで航行しま
した。この時点でも、作戦のことは聞かされておらず宮川機関員も、
気持ちが高ぶり寝ることもできないと記録しています。

 夜明けが近い時刻に、全員甲板に集合の命令があり、いよいよ
作戦発表かと期待しました。甲板には艦長がおり、そこで、「沖縄
に向かい、敵機動部隊への水上特攻艦隊を編成し、体当たり戦法
を取る」という訓示がありました。

 この訓示に対し、賛否両論ありさわぎになりました。一方で、宮川
機関員をはじめ乗組員の本心は、作戦の成功を祈っており恐怖感も
なかったようです。その後は、全員配置の警戒態勢がとられ、緊張が
極限まで高まっています。

 響は、僚艦と合流しながら、艦隊の先頭を航海していきました。

(追記)
 遺髪を取るという行為ですが、同じ作戦に参加した雪風
ではやっていないので、艦長の権限でやる・やらないは
決めることはできたようです。

 艦長の考え方によるということですが、大半の艦はやって
いるようですので、雪風が例外だと言えます。


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