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響、3度目の損傷 [響]

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 3月29日の9時に、突如爆発音がして艦が激しく振動
し、宮川機関員は、床に叩きつけられました。左舷の
機関操縦室の窓ガラスがすべて破損し、管から
蒸気が吹き出している状態でした。

 「各缶の弁を閉めて待機」の命令が下されました。蒸気は
止まったものの、原因の調査に手間取っていました。幸い
機関員に損害がなかったので、急ぎ修理を開始しました。

 一緒にいた僚艦は、響を後にして目的地に向かっており、
波にまかせての漂流状態の響は、敵に発見されたら終わり
という状態でした。

 艦内で全て修理するのは不可能と分かり、司令部からは、
呉に回航し修理せよの命令を受け、自力で戻ることが
必要になりました。

 呉に戻るまで、護衛として駆逐艦朝霜が同行することに
なりました。なんとか9ノットまでは出せるようになり、
戻れる目処が立ちました。

 この時に、乗組員の頭に浮かんだ感想は、生き延びた
ことに対する喜びでした。100%戦死の作戦の時は、
自棄的になり、特攻を名誉と喜ぶが、逆転すると
生への執着心が強くなるのだろうと回想しています。

 呉に着いた後は、反転する朝霜に、護衛に対する感謝と
武運を祈って分かれています。響の破損原因は、浮遊
機雷に接触したことでした。

(沖縄特攻作戦の顛末は、“雪風、天一号作戦(大和の沖縄特攻
作戦)に参加“をご参照ください。

(追記)
 駆逐艦朝霜は、艦これ未登録の夕雲型16番艦です。1943年11月に
竣工し、輸送船の護衛や、レイテ沖海戦、ミロンド島沖夜戦などで活躍して
います。

 この作戦では、4月7日の午前6時57分に機械故障で落後
し、修理しながら必死で付いてきましたが、差が開き空襲を
単艦で受け撃沈されています。


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