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響、掃海任務につく [響]

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 響は、1945年5月中旬に修理を終えましたが、この頃は
戦争は最終の様相を呈していました。響は、第七駆逐隊の
司令乗艦になりました。同じ隊には、駆逐艦潮(うしお)が
いました。

 響は舞鶴に移動し、必要最小限の物品だけ残して、陸上に
疎開していました。6月上旬に、突然警戒警報が発動され、
対空戦闘に突入しました。船は動かさないので、宮川
機関員は仕事はありませんでしたが、待機していました。

 15分くらいの戦闘で、1機撃墜の戦果を挙げています。この
機体に乗っていたパイロットは捕虜となり、尾翼は白山駅前に
展示されました。翌日、市民から感謝として地酒が届けられ
ました。

 この時飛んできた機体はB29で、機雷の敷設のためでした。
響は、この後掃海任務に就くことになります。アメリカ軍が投下
した機雷は、音響式、磁気式、時限式など数種類有りました。
機雷班が機雷を分解し信管を取り外す作業を行っています。

 宮川機関員は、敵の技術を褒めるのもおかしいと思いながら、
その研磨されたボルトやナット、精巧なベアリングを見て技術的
にはアメリカが優っていることを認めざるおえませんでした。

 機雷は、軍艦だけでなく、漁船などにも被害を与えており、
響自信も何度も機雷に接触して破損ということを繰り返して
います。

 掃海作業は、先端に磁石のついたワイヤーロープを持って、4隻
くらいで走り回るという方法で行っていました。舵を誤り、直接接触
したり、時限式や音響式の機雷に吹き飛ばされることが、毎日の
ように起きていました。

 この光景を見ているので、誰も掃海任務は嫌がっており、いつ
自分の番になるかと恐怖を感じながら過ごしていました。同時に、
毎日のように機雷を投下するB29に対する恨みも増えていく
という状態でした。

(追記)
 第七駆逐隊は、艦これでもお馴染みの、朧(おぼろ)、漣(さざなみ)、
潮、曙の4隻で組んでいた艦隊で、後に霞(かすみ)も加わっていますが、
この時は、潮のみが生き残っていました。

 潮も開戦当初から参戦し、珊瑚海海戦やスラバヤ沖海戦、多号作戦などに
従事し、終戦まで生き残っています。響に匹敵する武勲艦といえます。


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