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響、8月15日を迎える [響]

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 8月になっても、機雷投下は収まらず、掃海船の被害も
増加していました。響の近くで、機雷が爆発することが
あり、宮川機関員の不安も増加していました。

 8月9日に、原爆が長崎に投下された日に、ソ連が参戦し、
戦闘状態になりました。この情報を受け取り、響内では
日本が無条件降伏するのは時間の問題と噂していま
した。宮川機関員は、無条件降伏=日本消滅と
真面目に考えていたと記録しています。

 8月15日の朝、正午に天皇陛下からお言葉が放送される
ので、全員岸壁に集合するようにという指示が艦長からあり
ました。響内は、不気味な緊張がただより、作業にも身が
入らない状態でした。

 その時、突然対空戦闘配置につけの号令がありました。
宮川期間員が、甲板に出たときは、すでに、機銃を撃ち
まくっていました。海軍最後の発砲が、響が潮から
借りた砲での射撃だと言われており、この時の
砲撃のことを指していると思われます。

 この時、敵機は爆弾などではなくビラをまいて去って
行きました。ビラには、「日本の皆さん。日本政府は、
米国に対し和平を申し入れました。もう戦争は終わり
ました。・・・」と書かれていました。

 11時15分、全員岸壁に整列しました。甲板に設置された
ラジオから、天皇陛下の終戦の布告と無条件降伏が伝え
られ、宮川機関員は、放心状態になり、その場に座り
込んだと記録しています。その後、1週間は何もする
ことがなく、呆然と過ぎていました。

(追記)
 ソ連(ロシア)は、モンゴル帝国の後継国家として成立して
以来、常に世界征服を考えている国といえます。最近の
ウクライナに対する侵略は、そのことを表していると
言えます。

 終戦間際、条約違反の火事場泥棒的な参戦は、許しては
ならない行為であり、欧米やウクライナと協力してロシアを
封じ込めるということも考える時期に来ているのではない
かと思われます。


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