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雷艦内で、七面鳥を飼育 [雷]

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 上海に陸戦隊を運んだ後、第六駆逐隊は、大陸沿岸の
封鎖作戦に就きました。文字通り、宣戦布告のない戦争
でした。黄海、日本海、南支那海を含む広大な海洋を、
封鎖し蒋介石に対する海外からの援助を断ち切ろう
という作戦でした。

 しかし、広大な範囲に及ぶので、労多くして効少なしの作戦
でした。この作戦に従事したのは、概ね駆逐艦ばかりでした。
来る日も来る日も、海を眺め、星を仰ぐだけという状態が続き
ました。

 ある日、付近の測量をしていた海防艦の「駒橋」に遭遇しま
した。駒橋の艦長は、宮様の御機嫌伺いにやってきて、一羽
の生きている七面鳥を持ってきました。宮様は喜ばれて、
大高氏に雷艦内で、七面鳥を飼育するように命じられ
ました。

 とんでもない話とはいえ、殿下の仰せとあればということで、
後甲板の一角に檻を作って飼うことにしました。この七面鳥殿
は、水兵の食膳にも登らないような豪華な食事を与えられて、
もてなしを受けました。

 ところが、七面鳥は食事には見向きもせず、水をすするだけ。
下痢の症状を起こし、日に日に衰えていきました。宮様にも、
隠しようがなく、艦内の軍医を呼んで、診察してもらい、栄養
失調という診断をしていました。

 大高氏は、人間の病気でさえロクにわかりもしないヤブ医者に
七面鳥の食欲不振の原因がわかるわけもないというひどい
記述がありますが、この時は、大高氏の評価が的を
得ていました。

(追記)
 支那方面艦隊の旗艦として活躍している出雲ですが、
出雲型装甲巡洋艦一番艦で、1900年に就役し、日露
戦争、第一次世界大戦で活躍しています。この時点でも、
就役して37年もたっていましたが、現役で活躍しています。

 終戦間際の1945年7月24日の呉空襲時に転覆するまで、
45年間も現役で活動し続けた艦です。


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