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雷、七面鳥とお別れ [雷]

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 栄養失調という診断に従い、栄養剤の注射を行いましたが、
これに頭にきたのか、これまで鳴き声すら上げなかったのに、
ギャーギャーと鳴き始め、乗組員を苛立たせていました。

 宮様が、これは船酔いではないのかとおっしゃられ、大高氏
もヤブ医者の診断より確率が高そうだと感じました。この後、
宮様から、「大高、これを東京に送りなさい」と命令され、
七面鳥殿は、転地療養ということになりました。

 とはいえ、雷は南シナ海のど真ん中で作戦行動中であり、
どうやって送るかを、お付武官や艦長と相談することになり
ました。そして、封鎖部隊の軍需品補給をやっている特務艦の
「間宮」に送ってもらうことにしました。

 間宮に「我に近寄れ」の伝令を送り、何事だと思いながら近づいた
間宮に、「東京 伏見宮邸行き」と名札がついた七面鳥の檻を、丁寧
に艦長室に入れ、佐世保に直行してもらうことにしました。最後は、水兵
たちは、七面鳥に別れを言っていました。

 この後も、大陸を封鎖するという馬鹿げた大作戦は果てしなく続き、
単調な生活でノイローゼ気味になっていました。問題を起こしたとはいえ、
七面鳥は、艦の刺激になっていたと思われます。七面鳥とお別れのとき
に言葉をかけていたのはその表れでしょう。この七面鳥は、上野動物園に
送られました。

(追記)
 給糧艦間宮は、艦これには使用することはできないNPCとして登録されて
いる、特務艦に分類される艦艇です。1924年に、日本軍初の給糧艦として
就役し、1944年12月に撃沈されるまで連合艦隊の胃袋を支えてきました。

 全食材の搭載量は、1,000tになり、13,000人の食事を3週間まかなえる
量を運ぶことができました。その他、豆腐やこんにゃく、モナカやようかん、アイス
クリームといった嗜好品を艦内で作ることができたので、間宮が寄港することは
将兵にとって楽しみであり、人気のあった艦でした。


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