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雷、宮様の保険上陸 [雷]

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 大陸沿岸封鎖作戦を続けているうちに、宮様の衰弱が
ひどくなっていきました。保険上陸させようという話になった
ものの、宮様は、官人や民間人のお世辞を嫌い、補給や休養
のために寄港しても、上陸されたことはありませんでした。

 そこで、御付武官は舟山列島はかつて倭寇が根拠地として
活躍していた地であり、無人島なので探索遊ばれてはいかが
ですかとお勧めしました。宮様は、探索ということで興味をもた
れ、上陸することになりました。

 下士官が下見をし、農家が5件ばかりあるが危険はないという
ことでしたので、小銃で完全武装した10名で護衛をしながら、
御付武官と大高氏もお供を仰せつかり、小島に上陸しました。

 草原と岩だけの荒涼としている生物もいないような島でしたが、
宮様は、楽しまれ戦闘食も平らげていました。宮様の衰弱は、
船にい続けたことによる運動不足から生じていたようでした。

 この後は、宮様の健康も戻り、任務に励まれていました。
上海でのご負傷、青島での敵前上陸、蓮雲港沖の封鎖など
激務に耐えられていました。

 1938年3月またしてもジャンク船を発見し、臨検をかけることに
しました。

(追記)
 盧溝橋事件から始まった戦闘ですが、当初、陸軍のみが戦闘を行い
北支事変と呼ばれていましたが、上海で大山事件が起きたため、
海軍が介入し、陸軍も続けとばかりに南支那に関わるように
なってから、支那事変に名前が変更されています。

 教科書では、軍閥が戦争を拡大したといった記述になっていますが、
この当時は、陸軍と海軍は強調はしておらず、自分の縄張りに個々に
介入したため、戦闘の名前が変わるという現象が生じています。

 これを見ても、日本軍は無計画に進軍しているだけで、ヒトラーが
ヨーロッパで計画的に侵略していたのとは、全く違うことにないます。


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