SSブログ

雷内で下痢の流行 [雷]

スポンサーリンク
(adsbygoogle = window.adsbygoogle || []).push({});



 ジャンクを発見する前は、空も海も平和そのもので、
戦争もない状態でした。しかし、封鎖命令は実行する
必要があり、眠りながらやっていたというのが実態
でした。

 なので、ジャンクを発見したということで、艦内に
警報ベルがなると、みんなたたき起こされることに
なりました。

 そして、頼まれもしないのに、戦闘に関係ない機関科の
士官や軍医が艦橋に集まってきました。この人たちは、
眠気ざましのやじうま根性で来ているだけで、仕事を
しに来たとは明らかに違っていました。

 この頃、ジャンクは、積荷は没収、船体焼却、乗員は追放と
なっており、その通りに実行しています。追放された船員は、
口々に悪口や呪いの言葉を履き遠ざかっていきました。

 翌日、雷内で下痢の症状を訴え、若い三等水兵が次次に
診療所に駆け込んできました。艦長と軍医は、宮様の乗る
船で伝染病を流行させたとなったら、文句なしに軍法会議
でクビになるので、顔面蒼白となりました。

 ところが、よくよく原因を探ると、昨日のジャンクから押収した
積荷の黒砂糖に、若い三等水兵がありのように群がって食べて
いた事による食中毒と分かり、艦長は安堵していました。

 このような事件を起こしながらも、大陸封鎖作戦は続きました。

(追記)
 支那事変が長期化した理由の一つに、宣戦布告をせずに
戦闘になってしまったことが挙げられます。これは、この当時
日本は、アメリカから石油を購入しており、宣戦布告しアメリカ
を中立にした場合、石油の購入ができなくなるため、しません
でした。

 蒋介石も同じ理屈で、アメリカやイギリスから武器を購入して
いるため、宣戦布告で日本以外を中立にできなかったという
事情があります。このため、どこと戦争しているかが明確に
できず、泥沼化したという事情があります。


スポンサーリンク



nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

トラックバックの受付は締め切りました

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。