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潮、司令部から電報 [潮]

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 魚雷艇の攻撃を脱出した頃には、夜明けが近くなって
きました。駆逐艦は、昼間に空襲を受けると30本もある
魚雷が誘爆し、船体が吹き飛ぶ危険があるので、長居
は無用と30ノットで一目散に退避しました。

 島から離れた後は、燃料の関係で速力を20ノットに
落として帰還していると、爆撃機が2機飛んできて、
機銃掃射を加えてきました。応戦する暇もなかった
ので、転舵を繰り返しながら20分激闘し、振り切る
ことができました。

 大高氏は、あの爆撃機はどこから飛んできたのか不思議
がっていました。実は、日本が整備している途中だった
ルンガ飛行場を、占領翌日に鉄製のムシロを敷きつめて
使えるようにしていたものでした。日本軍が運用して
いれば、戦局が有利になるという場所を、アメリカ軍
に使用されたということです。

 ショートランドに帰還すると、司令部から電報がきており、「今朝
航空偵察したところ、ルンガ沖に数十隻の輸送艦が停泊し活動中。
第七駆逐隊は、昨夜の襲撃行動を至急報告せよ」というものでした。

 小西司令官もこの電報に対し、「間抜けな飛行機野郎は寝ぼけて
いるのではないか」と、ハゲ頭から湯気を出して怒鳴っていました。

 アメリカ軍は、昼間はルンガ沖に来て荷下ろしをし、夜間はツラギに
引き上げていました。潮は、ちょうどいない時間帯にルンガ沖に来て
探し回ったため見つからず、飛行隊は昼間偵察したため見つけたと
いうことです。

(追記)
 8ヶ月もかけて整備を続けていたルンガ飛行場を、使用する前に
アメリカ軍に占領され、逆利用されたのは、土木装備が貧弱だった
ためという理由はありますが、これはないものねだりなので、致し方
ないといえます。

 しかし、ラバウルに10万人の軍隊がいて、この最重要の飛行場
建設に対して、完成まで何もしていなかったという状態でした。長雨
で飛行場がつかえなかった不運によるものではなく、司令部の無責任
を示す事例となっています。


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