SSブログ

潮、輸送船の代わりに、陸兵を運ぶ [潮]

スポンサーリンク
(adsbygoogle = window.adsbygoogle || []).push({});



 ガダルカナル島のルンガ飛行場を確保したアメリカ軍は、
滑走路を整備拡張し、中型爆撃機も使用できるように
するために膨大な戦略物資を輸送船で運び込んで
いました。

 日本軍もこれを見逃す訳にはいかないので、ソロモン
近海での海戦は、何度も行われることになりました。
しかし、1000kmも離れたラバウルから出撃して
いるので、天候に左右され、攻撃は、意のごとく
なりませんでした。

 むしろ、戦果より損害の方が多くなるような日が続きま
した。日本海軍は、個々の戦闘ではアメリカ軍を圧倒
していながら、その結果を戦略的な成果に結びつけ
ることが出来ていませんでした。

 このようなおり、第七駆逐隊は輸送船の代わりに、陸兵を
運ぶ役割を担っていました。足の遅い輸送船では、格好の
目標になってしまうためです。速力を調整して、日没頃に、
ガダルカナル島に接近し、日没と同時に高速で突っ込んで
午前2時に脱出という手順でした。

 毎週のように敵艦隊を迎え撃っている時期で、駆逐艦は、
1隻でも手放したくない時ではありましたが、10数隻の
優秀な駆逐艦が集められました。大高氏らは、この
輸送を「地獄行き定期急行便」と呼んでいました。

 開始されて、2、3日後に潮の番が回ってきました。

(追記)
 ソロモン近海での海戦は、すでにご紹介しました第一次ソロモン海戦以降

第二次ソロモン海戦(1942年8月24日)
機動部隊同士のぶつかり合い。空母龍驤撃沈。

サボ島沖海戦(1942年10月11日)
 敵軍を味方と誤認したため攻撃をくらい、得意の夜戦で敗北。

南太平洋海戦(1942年10月26日)
 機動部隊同士のぶつかり合い。“雪風 南太平洋海戦前”以下をご参照ください。

第三次ソロモン海戦(1942年11月12日)
 戦艦比叡と霧島撃沈。”雪風 ガダルカナル島攻略作戦に参加“をご参照ください。

 と主なものだけで、これだけ行われています。


スポンサーリンク



nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

トラックバックの受付は締め切りました

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。