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天津風、生き残りの要因 [天津風]

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 森田艦長は、激戦で天津風が撃沈せずに生き残ったのは
なぜかという質問を、多くの方から受けており、それに答えて
いますので紹介します。

(1)適切な指揮
 安心してついて来いという宣言と、強くなければ生き
残れないという信念のもと訓練を課したことで、十分な
練度を得られました。

(2)適切な操艦
 駆逐艦とは言えないほど戦力が劣化していることを
認識し、本来の護衛艦の行動である我が身を捨てても
船団を守るという行動は、取れませんでした。

 雲の合間から砲撃という戦法は、健全な駆逐艦なら取らない
ものでした。天津風は、護衛の任務は課されていなかったので、
このような戦法を取れました。

 戦後のアメリカ軍の記録では、天津風の激しい対空射撃に
驚き、隊列を離れた飛行機があったことが記録されています。

(3)被弾時の適切な応急処置と天津風の強靭さ
 大破しながら厦門まで自力航行できたのは、適切な応急の
おかげでした。同時に、3発もの爆弾を食らいながら、船体が
切断することも、大きく傾くこともなかったのは、陽炎型
駆逐艦の造船技術が優れていたことを表しています。

 最後に、「天は自らを助くるものを助く」ということわざを引用し、
安易な妥協は禁物で、納得のいくまで人事を尽くせという
態度が、天から手を差し伸べてもらうことができたと思われ
ますと記録しています。

(追記)
 森田艦長は、上記の他に、私も気にしている運という要素も
記述しています。天津風は、数々の強運に助けられて生き
残っています。

 森田艦長は、同じ時期に建造された初風、時津風が沈没し、
天津風が沈没しなかったのは、艦にも星占いのような、完成
時期による運勢が作用しているためではないかと指摘して
います。

 軍隊は、運・不運が自分の命を左右するので、人一倍感じ
やすいといえます。


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