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終戦を迎えて [天津風]

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 1945年8月15日、聖断による終戦となりましたが、
森田指揮官は、情報が断片的(原爆投下の事実も
知りませんでした)で終戦についても半信半疑でした。

 15日の午後、上海の司令部から「各隊ただちに戦闘
行為を中止せよ」の指令を受けて、初めて終戦を確認
しました。

 ここで、森田指揮官は、アメリカ軍上陸予想地点の
海面めがけて、実弾100発の射撃を命じています。
飛行機が来ても、やり過ごせと命じていたことに対する
鬱憤ばらしと同時に、島民に日本軍が健在であることを
誇示するためでした。

 ここからの問題は、目標を明示して、規律を維持する
ことでした。そこで、森田指揮官は、日本の復興のための
準備として、隊員に農工商のいずれかを希望させて、技能
訓練を開始しました。幸い、泗礁山部隊は、種々の特殊
技能者がいたので、この人達に先生をお願いしました。

 受講生も、日本に帰ったら必要になるということで、勉強
にも熱が入っていました。隊員たちの士気については問題
ないと見て、森田指揮官の最重要課題が、日本へ無事に
復員させることになりました。

 9月に入り、上海の司令部から、泗礁山部隊の武装解除は、
蒋介石軍が当たることになったという電報が入りました。この
情報を聞いた手を組んでいた海賊の棟梁が、日本軍が武装
解除される前に、武器を少し分けて欲しいという要望をして
きました。

(追記)
 天津風の戦歴から離れるて泗礁山部隊のことを紹介しているのは、
森田指揮官の終戦後の対応が素晴らしかったからです。終戦で、
目的を失った軍人に、なにをさせるかと考え、復員してから役立つ
技能を身につけさせるというのは、素晴らしい対応です。

 なお、森田指揮官は、25才(ここまでの戦歴を見てもそうは思えない
ほどですが)にして、高い徳を備えているといえます。


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