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海防艦205号、終戦後初めて敵国人との対面 [海防艦205号]

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 海防艦205号が停泊している時に、かつての
敵軍が内火艇で近づいてきました。ついこの間
まで、憎しみ合い、激しい闘志で戦いあってきた
彼らでしたが、今は何をされても抵抗することも
できないと思うと、顔を合わせるのも嫌でした。

 近づいてきたのは、二人の作業服を着た
男性で、階級章はありませんでした。江口氏は、
相手は日本軍に対して憎しみを持っており、威を
借りて傲慢な態度に出るものと予想していました。

 しかし、使者は予想に反し無表情で淡々として
いました。江口氏が見守る中、佐竹艦長は堂々と
英語でまくし立て、20分くらいで話は終わりました。

 江口氏は、使者が帰っていくとき、内火艇のエンジンが、
突起物を踏むだけで簡単にかかるのを見て、日本軍の
使用しているものとの違いを見ていました。日本軍の
内火艇は、手でクランクすることでエンジンをかけて
いたので、始動するのが困難でした。

 帰り際、江口氏がもやいを解き放すと、「サンキュー」と
言って手を挙げてくれました。戦いが終わって1ヶ月
そこそこので始めて会った敵国人でした。

 しかし、そこには憎しみや傲慢な態度はありませんでした。
江口氏は、勝って驕らずの平常心があると考え、さすが勝者と、
“この時は”、思っていました。

(追記)
 使者が帰ったあと、艦長に話の内容を聞くと、硫黄島で
かつてない死者を出したといっていたようです。硫黄島の
戦闘は、これまでの水際撃退から、地下へ張り巡らした穴を
利用して、島へ上陸させて、戦うという方法を取っています。

 アメリカ軍は、徹底的な艦砲射撃と十分な兵力で攻撃を
仕掛け、日本軍は玉砕したものの、アメリカ軍の死傷者は、
日本軍より多かったという結果でした。

 アメリカ軍が、本土上陸を避けたかったのは、本土で
硫黄島の戦いと同じことをされたら、どれだけの被害が
出るか分からなかったという面があったと思われます。


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