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海防艦205号、ダバオに移動 [海防艦205号]

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 1週間停泊した海防艦205号は、ダバオに
回航せよの命令が届きました。ダバオは、
フィリピン第二の大島ミンダナオ島に
ある港で、日本人も入植していました。

 ダバオには、夕方に到着しました。夕食もすんで、
涼を取っていた頃、岸壁から女性の集団の悲鳴が
聞こえました。邦人が、原住民に襲われたのかと思い、
探照灯を照射してみましたが、分かりませんでした。

 カッターを降ろして、下士官たちが確認に行きました。
帰ってきた下士官に聞いてみると、引揚邦人を運ぶ
水陸両用車が、故障して沈没し、引率の米軍中尉と
数名の邦人が溺死したようでした。

 その後、海防艦205号に、仮死状態の40歳ぐらいの
女性が運ばれてきましたが、蘇生させることはできません
でした。

 海防艦205号には、引揚者約250名が乗艦してきました。
大半は、30~40歳ぐらいの婦人と子供でした。幼い子供も
いましたが、衰弱がひどく、船の中で亡くなっていきました。

 引揚者は、着のみ着のままで、粗末な夏のワンピース一枚を
身につけているだけでした。

 荷物も小さな風呂敷が1枚くらいで、鍋やカップ一個と
いう人もいました。これが彼女たちの全財産であり、
日本軍とともに敗戦の戦場をさまよい全てを
失ったと思われます。

 江口氏は、これらを気の毒に思うと同時に、ご苦労様
でしたということしかできませんでした。

(追記)
 引揚者の中に、現地で食料を始め全ての物を
自分の国の軍隊に強奪されたとなじるものがいま
した。

 海軍にはそのようなことをする者はいないと弁明
していましたが、このような弁明をしている海軍の
記録は当てにならないと思われます。

 「海軍には、陸軍と違って、リンチはなかった」という
ことをで書いている海軍出身者がいますが、私が紹介
した著者のなかにリンチと言える暴力を受けた人が存在
します。このような記述には注意する必要があります。


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