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横須賀海軍砲術学校教官に配属 [駆逐艦秋月]

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 山本氏が、訓練艦八雲で勤務していると、予備学生の
少尉が、問題発生のたびに、繰り言を言うようになって
きました。

 山本氏以外の尉官は、兵学校出身者で、第一線の前線に
は出ていない者たちばかりでした。しかし、プライドだけは高い
という有様でした。

 この者たちは、予備士官に対し、些細なことで殴るといった
行為をしており、商船学校出身の山本氏を、駆け込み寺の
ようにしていたということです。山本氏も、困ったものだと
思っていたものの、何かできるわけではありませんでした。

 1945年3月17日に、八雲が敵機の襲撃を受けた時、
兵学校出身者も予備士官も行動に大差なく、予備
士官生は溜飲を下げていました。弾丸の下では、
体が覚えていることをやるので、知識より経験
でした。

 山本氏は、繰り言を聞かされていたものの、山本氏が
知らない法律や演劇、絵画、音楽といったバラエティに
富んだ出身者がいたので、話をすることは楽しんでいま
した。


 山本氏は、3月20日付けで、横須賀海軍砲術学校教官
に配属されました。しかし、呉の一帯は、米軍機によって
磁気機雷を敷設されていたため、船が運休してしまい、
本土に戻るの術を探す必要がありました。

 4月2日頃、転勤者や公用使を運ぶ木造帆船が出港する
ので、これに便乗して本土に向かいました。辞令を受けて
から10日以上無為に過ごしてしまいました。

(追記)
 山本氏は、3月17日と記録していますが、“雪風、回天の
標的艦を勤める”でも紹介しています通り、呉の空襲は
3月19日です。しかし、八雲が襲われたのが、この時
という確証はとれないので、山本氏の間違いとは
いいきれませんでした。

 3月19日の空襲時は、日本軍も反撃しており、アメリカの
空母1隻を大破させ、特攻により、何隻かの艦艇に損害を
与えています。


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