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駆逐艦五月雨、衝撃を受ける [駆逐艦五月雨]

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 五月雨が、りンガ泊地にいる間に、テニアン島での
敵軍揚陸を阻止すべく、奮戦していることを伝え聞き
ました。玉砕を覚悟しながら、死力を尽くして戦う
彼らの気持ちに、須藤氏は涙ぐましいと評して
います。

 このようなおり、五月雨は、輸送任務のためシンガポール
へ向かいました。シンガポールに着くと、マニラとパラオ間
の緊急輸送の命を受け、十六戦隊(重巡洋艦青葉、鬼怒)、
駆逐艦浦波、第二十七駆逐隊(時雨、五月雨)はマニラへ
向かいました。

 マニラに着くと、シンガポールの赤煉瓦とクリーム色の壁と
比較し、色が淡いものの、淡白といういより寂しさを漂わせて
いました。市街は、シンガポールにはなかった、一国の首都
としての気品と落ち着きがありました。

 8月15日、マニラを出撃し、パラオの邦人引き揚げの緊急
輸送のため出撃しました。8月18日午前1時15分、暗号当直
についていた須藤氏は、艦橋の慌ただしい叫びを聞くと同時
に、衝撃を受けてイスから転げ落ちました。

 ぐーんと海底にひきこまれるような艦の呻きまで聞こえてきま
した。電灯が消え、須藤氏は、雷撃されたと考え、書類を
つかんで、艦橋に駆け上がっていました。

 艦橋に上がった須藤氏は、五月雨が雷撃を受けたわけ
ではないことを知りました。

(追記)
 マニラが、一国の首都としての気品と落ち着きを持って
ながら寂しさを漂わせていたのは、物価高と紙幣の洪水
による秩序を失った姿があったからでした。

 子供が、紙幣をつかんで、煙草を求め兵隊を追い、煙草は、
一本づつ売られているような状態でした。スリも横行し、片道
の車代が10円、一盛り9円のアイスクリーム、20円のケーキ
などインフレが進んでいました。

 戦争で破壊されると、このようになるということを示しており、
戦後日本も同様な状態になっています。


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