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駆逐艦五月雨、雷撃を受ける [駆逐艦五月雨]

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 8月24日、25mm機銃やその他の兵器を下ろし始め
ました。魚雷は、浮標をつけて環礁付近に沈めました。
双眼鏡、羅針儀、機密図書等が運び出され、上甲板は、
混雑を極めました。

 夕刻、浅瀬に爆柱が三つあがりました。敵機の高高度爆撃
かと色めき立ちましたが、機影は見えず、爆柱も黒く、爆弾に
しては大きいことから、潜水艦が、浅瀬に気づかず魚雷を撃ち
こんだと考えられました。

 翌日、五月雨乗員は、全員パラオに移動することが決まり
ました。五月雨は放棄されたということです。先遣隊として、
艦長以下28名が、糧食、被服とともに、掃海艇に乗り
移っていました。

 須藤氏は、一日違いとは言え、仲間と離れることに、いやな
感じを持っていました。先遣隊が乗り移った哨戒艇が見えなく
なった頃、パラオに空襲警報が発令されました。B24が16機
来襲したとのことでした。

 須藤氏は、五月雨から、パラオ方面の水平線が、赤黒く
見えるのを確認しています。とはいえ、五月雨乗員にとって、
パラオに移った後どうなるのだろうかということが、最大の
問題でした。

 連合艦隊司令部からは、五月雨乗員は、南西方面部隊に
編入するという命令が発せられていました。しかし、訓練
された駆逐艦乗員を、パラオの陸戦隊に使うのは残念
だというのが乗員の気持ちでした。

 むしろ、新しい駆逐艦に乗せても使えると考えていました。

(追記)
 上記最後の考えについて、須藤氏は、「新しく配乗されるためには、
一旦内地に戻る必要があるという考えが巣食っている」という正直な
心情をつづっています。パラオに残れば、玉砕することは目に見えて
いるので、この感情があることは当然といえます。

 同時に、駆逐艦乗りは死ぬなら艦でということも無意識に考えている
としています。


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