SSブログ

駆逐艦五月雨から離れる [駆逐艦五月雨]

スポンサーリンク
(adsbygoogle = window.adsbygoogle || []).push({});



 発電機の止まった暗い五月雨艦内で、士官室に点った
ろうそくの灯りが、死傷者の姿を映してゆらめいていました。
そのような中で、五月雨神社のご神体が外されました。

 先任将校から、「荷物は持って行けないので、体につけ
られるだけの物をつけろ」という叫びが聞こえました。
風呂敷に入れていた乗員は、風呂敷から取り出し
体につけ始めました。

 艦尾の闇の中から発光信号が明滅しました。駆逐艦竹が
来たようでした。竹は、浅瀬を警戒して、大分離れた所に
止め、小発で来ることが知らされました。

 須藤氏は仲間と一緒に、亡くなった班員の遺体を運ぶ
ことにしました。尊い犠牲者は荼毘に付されるまでは、
無事な須藤氏らがともにいなければならないという
考えでした。

 小発がくると、後甲板から乗り移っていきました。右に
傾いた五月雨の左舷を渡る列に、波が飛沫を浴びせて
きました。

 魚雷が命中した中央は、上甲板がようやくつながって
いるのみで、波にあおられ後甲板は、上下するたびに、
きしんで、今にも離れそうでした。

 小発に移ると、士官の意外に多い荷物が放り込まれ
ました。これを見た乗員は、捨てちまえなどと叫んで
いましたが、誰も投げ捨てる者はいませんでした。

 小発が離れると、五月雨の艦影が視界から薄れて
きました。

(追記)
 上記の遺体の搬出について、須藤氏は、自分の班長に
ついては、自分のことに熱心で何の役にも立たないと
評していました。一方で、若い兵士たちは、熱心に
戦友の死体を始末していました。

 この姿を見て、須藤氏は、平時にどんな態度を装って
いようと、このような最期の場合にこそ、その人間性が
現れるということを見せつけられたとしています。

 だからこそ、熱心に戦友の死体を始末している若い
兵士に対し、心から感謝していました。


スポンサーリンク



nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

トラックバックの受付は締め切りました

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。