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まるゆ 三島のまるゆ部隊 [陸軍潜航輸送艇まるゆ]

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 三島のまるゆ部隊のことについて紹介します。まるゆ
部隊は、将校が400人あまり、仕官が、820人ほど、
一般兵が2200人ほどと、総数は、4000人を
超えていました。

 終戦時、まるゆは16隻が、三島に配置されており、
陸軍内でも大規模な部隊だったといえます。部隊
本部は、富士紡績工場を接収した建物に置かれて
おり、1943年10月の結成から終戦まで、
ここで過ごしています。

 接収した部隊兵舎を、出入り口を潜水艦隊らしく
趣向を凝らした改造を施していました。兵舎は、
海に面しており、広い浴室から海を見ながら、
のんびりお風呂につかることができたと
記録されています。

 三島は、海岸には松林と玉砂利の砂浜があった、
気候温暖な土地でした。地元の民家には、伊予蜜柑
がたわわに実っていました。

 まるゆの隊員は、蜜柑事態珍しいので、食べまくって
いたようです(文章からは、代価払って購入したのか
勝手にもいでいたのかは区別がつきませんでした。

 まるゆ部隊のあった三島は、幸い大きな空襲はなく、
敷地周辺に機雷を6個投下されたくらいでした。陸上に
落ちてきた3個は、まるゆ部隊で解体し、海中に落ちた
3個は放置していましたが、終戦後付近を通った漁船に
被害が出ています。

(追記)
 紡績工場を接収した例は、終戦末期には目立って
多くなっていました。宇品にあった船舶練習部も、
紡績工場を接収したものでした。他にも、小豆島
や和歌山の工場を接収しています。

 戦争末期は、産業を重工業に軸足を移すという方針が
とられたため、紡績工場のような軽工業は、閉鎖に追い
込まれています。

 しかも、工場の建物や、広い敷地をそのまま利用できる
ので、軍が使うには都合が良かったといえます。


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