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まるゆ まるゆ部隊の隊員の休日 [陸軍潜航輸送艇まるゆ]

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 戦争中、佐世保の海軍二等兵曹だった方が、終戦後
故郷の三島に復員した際、戦争中のまるゆ部隊について、
漁師をしていた父親から聞いた話がありますので紹介します。

 そこには、「軍機がしっかりしていて、乱れるところが
なかった。ただ、小さな町だから、休暇日でも遊ぶ場所
がなくもてあましていたようだった」と聞かされて
います。

 この点について、まるゆ隊員の手記を見ると、「空腹
盛りのときなので、石鹸や靴下を土産に、夏みかんや、
いも粥、いり豆、さつま芋などを腹に入るだけ入れて、
残りは営内に残った戦友に運んでいた」とあります。

 別の方の手記では、「町は小さく遊べるようなところも
少なかったので、山に登ると農家が点在しており、そこ
にいたおばあさんと話しこみ、カンコロ(さつま芋を
切干ししたもの)をご馳走になっています。

 このおばあさんの息子の出征しているので、世話を焼いて
いたようでした。この後も、外出のたびにこのおばあさんの
家によってご馳走してもらっていたと記載しており、四国の
人達の親切は忘れないと結んでいます。

 まるゆ部隊の隊員の休日は、それぞれが独自の方法で、
楽しみを見つけて、過ごしていたことが伺えます。

(追記)
 地元の漁船と、まるゆ部隊の係留所が近くだったので、
最初はトラブルになったようで、出入りの漁船には、
大きな番号をつけさせてられているようです。

 しかし、番号をつけさせた後は、トラブルになっても、
互いにOKのやり取りで、万事解決したようです。まるゆ
部隊は、地元の人達に気を使って、訓練に励んでいたと
います。

 そして、現在、まるゆ部隊のあった伊予三島の地に、
「まるゆ陸軍潜水輸送艇教育隊記念碑」を、まるゆ戦友会の
人達が建立しました。


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