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駆逐艦照月 海軍報道班員 [駆逐艦照月]

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 海軍報道班員の一人、丹羽文雄(にわふみお)氏とは、
高戸氏も深くかかわっていました。丹羽氏は、第一次
ソロモン海戦の際に、巡洋艦に乗り込み実戦を
体験して、「海戦」を書いています。

 高戸氏と丹羽氏が清水に赴いた時、宿の女中さんが、
丹羽氏を見て、どこかで見覚えがあると言ってきたので、
小説家の丹羽氏だと伝えると、「ああ、あのタンバさん
ですか」と言い直ししたのを聞いて、高戸氏はおかしく
なりました。

 1945年2月、戦局は厳しくなってきたので、高戸氏は、
この状況を正確に報道しようと考え、新しい海軍報道班員を
人選することにしました。この時、高戸氏の下で働いていた
嘱託の一人が、高戸氏の命は以下のようなもであったと記録
しています。

 「特攻作戦は、我国の歴史を見ても未曾有の大作戦
なので、日本の心を正確に誤りなく次世代に語り継がな
ければならない。そのための人材を選出し、報道班員に
任命し、フィリピンの現地に派遣したいので、手配する
ように」

(追記)
 高戸氏は、丹羽氏と一緒に、横須賀の海軍機雷学校を
訪問しています。この学校の教頭をしていたのが、
照月で一緒に戦った則満司令でした。

 お目にかかり、夜にはすき焼きをごちそうになって、
昔の話に花を咲かせていました。

 高戸氏は、これがいつの時期だったのか思い出せず、
終戦後40年以上たってから丹羽氏に確認したことが
ありますが、記憶にないと言われています。

 諦めきれなかった高戸氏は、丹羽氏とお会いしたい旨の
手紙を書きましたが、手紙を書いた頃は、丹羽氏は、顔の
識別もできないほどの状態になっていたため、あきらめた
としています。丹羽氏とは、終戦後も付き合いがあった
ことを示します。


紹介書籍:海軍主計大尉の太平洋戦争(駆逐艦照月)


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