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駆逐艦照月 報道班員川端康成 [駆逐艦照月]

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 川端氏は、高戸氏の依頼で、鹿屋の特攻隊の基地に
向かいました。1945年5月初旬頃のようです。
そして2週間ほどで帰ってきていました。

 高戸氏は、川端氏がペンをとることはなかったとして
います。しかし、後に、婦人文庫に、生命の樹という
1編を書いていることが分かりました。

 これが、報道班員川端康成の唯一の作品です。これは、
植木という特攻隊員と鹿屋の水交社に務めていた啓子と
いう女性の淡い恋を通して、生と死を語らせた作品
でした。

 戦争が終った最初の春に、植木のことを忘れられない
啓子が死ぬつもりでいた時に、戦争で焼けた木から、
新しい芽が出ているのを発見し、新しい生き方を
見出すという物語です。

 高戸氏は、鹿屋の基地で、特攻隊員の死を見送って
いた川端氏は、鎮魂としてこの話を書いたのだろうと
しています。

 高戸氏は、戦後、川端氏に会い、この作品のことを
聞いてみたいと思っていましたが、叶わずじまいでした。

 川端氏は、この後、1968年にノーベル賞を受賞し、
1972年にガス自殺しています。高戸氏は、伊豆の踊り子
や、雪国などの作品を残した彼の繊細な神経は、生と死を
どのようにとらえていたのだろうかとしています。

(追記)
 生命の樹の中で、「人間はだれだって、自分の命が
自分の物だと証拠立てるには、自殺するしかない」
という会話があります。

 高戸氏は、川端康成の自殺の理由は、自分の命を自分の
ものだと証明したかったのであろうかと評しています。


紹介書籍:海軍主計大尉の太平洋戦争(駆逐艦照月)


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