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駆逐艦照月 海軍報道班員山岡荘八 [駆逐艦照月]

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 川端氏と一緒に鹿屋に無向かった作家に山岡荘八氏は、
この時の様子を、“神雷部隊「桜花」”として朝日新聞に
書いています。

 この中で、海軍省に呼び出された頃は、沖縄を失うまでは、
国民のほとんどは勝つかもしれないと考えていました。
負けるだろうなどとあっさりあきらめることはできなかった
としています(楽に勝てるとも思ってはいませんでした)。

 高戸氏から呼び出しを受け、鹿屋へ行くように言われたとき、
同行している川端氏が鶴のように痩せていて痛々しい感じが
したとしています。

 高戸氏から、「いよいよ大きく歴史が変わるところです。
とにかく良く見ておいてください」と言われ、厚木の
基地に向かいました。

 この時、山岡氏は、高戸氏の言葉の意味が分かりません
でした。後に、持てる飛行機と、戦艦大和まで投入した
最後の戦いだったと知った時、ようや高戸氏の言葉の
意味が分かったとしています。

 鹿屋に着くと、ここは、朝夕定期的に敵の空襲を受けて
おり、滑走路以外は、穴だらけでした。そして、年老いた
召集兵や予科練の無邪気な子供が、壕堀りをしていました。

 配属は、司令部付か、空襲に対応する雷電部隊、又は、
神雷部隊に行くようにと言われました。山岡氏らは、神雷
部隊がある野里村に行くことにし、ここから4kmの行程の
間を移動していました。

 移動中も、敵機の空襲を知らせるサイレンが鳴り響いて
いました。しかし、山岡氏は、敵機より別のことに恐怖を
抱いていました。

(追記)
 山岡氏は、今回の高戸氏からの命令以前に、報道班員と
して、大陸やタイ、マレーなどに従軍し、数々の記事を
書いています。

 高戸氏に、海軍魂とは何ぞやという質問をしており、
高戸氏は、にわか雇われの私にそんなことが分かる
はずはないと言わせています。


紹介書籍:海軍主計大尉の太平洋戦争(駆逐艦照月)


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