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駆逐艦照月 神雷部隊の若者 [駆逐艦照月]

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 神雷部隊がいた野里村は、鹿屋飛行場の広い大地を
西南に外れた谷あいにあり、村民を立ち退かせた上で、
小学校に畳を敷いて隊員の休憩所にしていました。

 山岡氏が着いた時には、校庭に30人足らずの若者が
整列していました。手に地図を持ち、指揮者の言葉に
聞き入っていました。時々笑い声を立てており、
山岡氏は訓練部隊と思っていました。

 ところが、今から24機で出撃するところですと
案内してくれた通信長に言われ、この若者たちは、
数時間後にはことごとく死んでいるという事実に、
体が硬直しました。

 若者の列が飛行場を目指して歩き出した時、一人が
列から外れ、山岡氏の方に駆け寄ってきました。そして、
封筒を渡され、「報道班員。これをお願いします。
あなたが適当と思う方法で、処理してください。
ご苦労様です。さようなら」と言われました。

 これだけ言うと、若者は人なつこい笑いを残して、
みんなの後を追っていきました。山岡氏は、問い
返す暇もなく、封筒をポケットに収めて、飛行場
への山道を登って、帰ることのない出撃者を
見送りました。

 報道班員は、兵隊と故郷をつなぐという隠れた
役割を担っていましたので、渡された封筒は、
遺書か手紙だろうと想像していました。

 山岡氏が、封筒を開封したのは、出撃した若者
たちが無事に突入したという通信が入ってから
でした。中を確認すると、そこには、113円30銭の
お金でした。

 この金額は、この当時の若者(少尉)の1ヵ月分の
俸給に匹敵する額でした。山岡氏は、このお金を
託した若者がだれかを確認するために、各隊を
回って、調べました。

 ある部隊で、彼が移っている写真を見つけ、市島と
いう姓であることを突き止めました。その写真には、
必死部隊という印象はなく、底抜けの明るさが
漂っていました。


紹介書籍:海軍主計大尉の太平洋戦争(駆逐艦照月)


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