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駆逐艦照月 小説「徳川家康」 [駆逐艦照月]

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 山岡氏は、戦後、多くの小説を書き続けることに
なりますが、中でもの超大作が、18年間も新聞に
連載を続けた「徳川家康」でした。これにより、
山岡氏の名声は上がりました。

 高戸氏は、山岡氏に徳川家康を描いた動機を
聞いたことがありました。その時、山岡氏は、
鹿屋の特攻部隊基地に派遣され、毎日、飛び
立っていく若い特攻隊員を見て、この世の
ものと思われない悲しさを感じたとしています。

 同時に、平和の尊さを思い到ったとしています。
そして、日本で一番長く平和を築いた徳川家康の
一生を描くことで、平和の尊さを訴えたいと
思ったと、高戸氏に語っていました。

 山岡氏が亡くなってから、高戸氏は、山岡氏の家を
訪ねています。高戸氏は、山岡氏の一人娘の稚子さんに、
山岡氏が鹿屋の特攻基地で入手した「神雷記」を見せて
もらいました。

 そこには、特攻隊員の最後の思いが記されていました。
どれも、墨の痕が鮮やかな筆跡で、恐ろしいほどの
迫力で迫り、今更の如く、若くして戦火に散った
人々の死が重いと感じました。

 特攻隊により出撃した飛行機は2406機にのぼり、
3863名の戦死者を出しています。高戸氏は、
これほど痛ましいことがあってよいのかとして
おり、いつまでも忘れないといています。

(追記)
 1969年の年初に、山岡氏は「人に歴史あり」という
番組に出るので、高戸氏にも出てほしいとお願いし、
出演しています。

 この中で、高戸氏は、作家の方に、見てきたことを
すぐに書かないでよいといったのは、嘘を書かれては
困るので、何年後でもいいから、純粋な作家の目で、
本当の日本の戦いを描いてほしいと思ったからだと
話しています。

 山岡氏は、この収録の後、24年ぶりにその約束を
果たすとしており、この後も小説を書き続けていました。


紹介書籍:海軍主計大尉の太平洋戦争(駆逐艦照月)


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