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硫黄島決戦 敵の攻撃の跡 [硫黄島決戦]

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 空襲と艦砲射撃による敵の攻撃がやっと終わり、
機銃陣地の周りに転がっている、艦砲射撃で
飛んできた大岩をどかすという作業があり
ました。

 これが終わり、次の作業は、機銃の機能回復
でした。機銃は、訓練ではしょっちゅう故障して
いたので、手入れは怠りなくやっておく必要が
ありました。

 しかし、今回の戦闘で、機銃は一度も故障する
ことなく働いていたことに、橋本氏は驚いていま
した。実戦で生き返る機銃に恐怖すら感じて
いました。

 今回始めて戦闘に参加している召集兵は、
始めて見た戦争の凄惨さを垣間見て、痴呆に
なったように破壊の後を眺めていました。

 この時は、敵が上陸してくるということを、
考えないようにしていました。

半年年期で徐隊といわれ
勇んできた島、硫黄島
温泉どころか水さえ飲めず
雨は雨でも弾丸の雨
というざれ歌が、現実になってきたという実感を持っていました。

 人員や兵器への損害はありませんでしたが、弾薬、
燃料、糧食などへは甚大な被害が出ていました。
貯水槽の破壊が、特に響きました。

 橋本氏は、今回の戦闘での戦果として、「敵機撃墜3機、
撃破2機、人員機材異常なし、発射弾数1080」と、砲台
本部に報告しました。敵機を撃墜しているので、橋本氏ら
機銃員は、鼻高々でした。

(追記)
 この後、アメリカ軍の機動部隊は、硫黄島への
上陸作戦は行わず、小笠原諸島を離れていき
ました。

 空襲と艦砲による攻撃を受けた硫黄島でしたが、
この攻撃による死者はなく、軽微な傷者が数名いた
だけでした。

 硫黄島の要塞は、空襲や艦砲射撃では問題ない
ほど堅固であることを証明しました。硫黄島の指揮
統制と、兵員の即応力が見事に合致した結果でした。


紹介書籍:硫黄島決戦―硫黄島「防空砲台」奮戦始末


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