戦艦比叡 異様な「総員上甲板」命令 [戦艦比叡]
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「総員上甲板」の西田艦長の命令により、慌てて
乗員が上がってきました。そこに上がってきた乗員は、
万策尽きた艦を放棄するために、持ち場を離れて
集まってきた乗員とは明らかに違っていました。
上甲板にいた乗員は、砲撃や空襲により損傷を
受けており、目を背けるような見まみれの状態で
した。
それに引き換え、下甲板から上がってきた人達は、
汗まみれになっていたものの、負傷者やずぶぬれの
人はいませんでした。
魚雷が爆発し、機関が全滅の被害を受けたので
あれば、当然、多数の負傷者やずぶぬれの人が
大量に出てくるばずです。しかし、上がってきた
人達の中にそのような人はいませんでした。
しかも、艦の臨終に伴い、生き残っている乗員の
総員退去を命じるという場面であるにもかかわらず、
集まった乗員は1000人を超えていました。
比叡の乗員は、1200~1400名ですので、下甲板に
いた乗員は、ほぼ被害がなかったことを示しています。
これが、艦長命令により、狭い第三砲塔の周辺を埋め
尽くしました。(記録では、比叡の死者は181名、負傷者
152名となっており、1100名くらい上がってきたと思われ
ます)。
上甲板に上がってきた乗員は、普段の艦長訓示などで
集まるのと同じようなものだと思っていたようで、のんびり
した雰囲気があったようです。機関が動くことが分かって
いる乗員は、艦長が持っていた危機感はありませんでした。
しかし、乗員は、始めて確認した上甲板の状況を目の
当たりにして、比叡は危険な状況にあると誤解したようです。
比叡はこの時、艦橋から二番砲塔まで、ひしゃげており、
恐怖を感じていました。
この時点で、西田艦長と乗員との間で、全く別の誤解により、
艦が危険だという認識をしてしまったことになります。
紹介書籍:戦艦「比叡」 高速戦艦 悲劇の生涯
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乗員が上がってきました。そこに上がってきた乗員は、
万策尽きた艦を放棄するために、持ち場を離れて
集まってきた乗員とは明らかに違っていました。
上甲板にいた乗員は、砲撃や空襲により損傷を
受けており、目を背けるような見まみれの状態で
した。
それに引き換え、下甲板から上がってきた人達は、
汗まみれになっていたものの、負傷者やずぶぬれの
人はいませんでした。
魚雷が爆発し、機関が全滅の被害を受けたので
あれば、当然、多数の負傷者やずぶぬれの人が
大量に出てくるばずです。しかし、上がってきた
人達の中にそのような人はいませんでした。
しかも、艦の臨終に伴い、生き残っている乗員の
総員退去を命じるという場面であるにもかかわらず、
集まった乗員は1000人を超えていました。
比叡の乗員は、1200~1400名ですので、下甲板に
いた乗員は、ほぼ被害がなかったことを示しています。
これが、艦長命令により、狭い第三砲塔の周辺を埋め
尽くしました。(記録では、比叡の死者は181名、負傷者
152名となっており、1100名くらい上がってきたと思われ
ます)。
上甲板に上がってきた乗員は、普段の艦長訓示などで
集まるのと同じようなものだと思っていたようで、のんびり
した雰囲気があったようです。機関が動くことが分かって
いる乗員は、艦長が持っていた危機感はありませんでした。
しかし、乗員は、始めて確認した上甲板の状況を目の
当たりにして、比叡は危険な状況にあると誤解したようです。
比叡はこの時、艦橋から二番砲塔まで、ひしゃげており、
恐怖を感じていました。
この時点で、西田艦長と乗員との間で、全く別の誤解により、
艦が危険だという認識をしてしまったことになります。
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2015-12-27 18:00
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