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戦艦比叡 キングストン弁開く [戦艦比叡]

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 第三砲塔の上に立つ西田艦長と、集まった乗員の間は
4mの高さの差しかありませんでしたが、これが互いの
心の流れを遮っていました。

 散っていった乗員が戻り、生存者がいないことを確認した
西田艦長は、キングストン弁を開くよう命じました。キング
ストン弁は、艦底についている弁で、開くと海水が入り艦は
確実に沈没します。

 自沈させる時にしか使わない弁で、開かずの弁でした。
この弁の位置は、運用科員など艦の数人が知るのみでした。
しばらくすると、キングストン弁が開かれたという報告が届け
られました。

 これを見極めたように、比叡の周りにいた駆逐艦
雪風、時雨、白露、夕暮、照月の5隻から内火艇が
出てきました。この頃スコールが降ってきました。
砲撃時は困りものでしたが、今は、敵機の来襲を
防いでくれる恵みでした。

 負傷者から運び出され、その後、順番に乗員が
内火艇に移って退艦していきました。この時点でも、
機関員全員が生きているため、比叡が沈むという
感覚は全くしませんでした。

 なぜ、比叡を捨てねばならないのかという思いが
機関員にはありました。舵が壊れているからだとうわさ
し合っていましたが、それだけの理由で、歴戦の戦艦を
沈めねばならないのかと感じていました。

 乗員にとっても、比叡はいい艦であり、沈めるのはしのびない
と感じていました。

(追記)
 著者の吉田氏は、キングストン弁開いたかどうかには
諸説あるということを、記載しています。

 しかし、機関員が全員に生き残っている(艦底に損害がない)こと、
比叡に海水が入ってきたのは、舵室くらいしかないこと、などを考慮
すると、キングストン弁を開いていない限り、比叡が沈むことはない
だろうとしており、キングストン弁を開かれたとしています。


紹介書籍:戦艦「比叡」 高速戦艦 悲劇の生涯


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