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航空巡洋艦利根、筑摩 黛艦長退任 [航空巡洋艦利根、筑摩]

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 レイテ沖海戦が終わり、ブルネイで燃料補給をした
利根は、母港の舞鶴に戻り、損傷した箇所の修復を
することになりました。

 1945年1月6日、黛艦長は、利根を退艦して、
横須賀鎮守府参謀副長に就任することになり
ました。

 黛艦長は、自分が主砲を撃つことは、もうないのでは
ないかという漠然とした思いを、抱いていました。そして、
この予想は現実となりました。

 利根には、岡田有作大佐が着任することになりました。
利根は、岡田新艦長の元で、修理を急いでいました。

 この頃、敵軍は、本土に迫る勢いでした。2月20日、
アメリカ軍が、硫黄島に上陸した日に、利根は修理が
完了しました。そして、呉に向かうことになりました。

 呉に着くと、戦艦の伊勢と日向、空母の天城と葛城、
巡洋艦青葉と磐手(いわて)、駆逐艦梨などがいました。

 しかし、この時期は、燃料が不足しており、満足に
動ける状態ではありませんでした。利根も、経済速力
12ノットで5昼夜、35ノットだと14時間しか航海でき
ない量しかありませんでした。

 これでは、レイテ沖海戦のような戦闘は到底できません
でした。この様な時の3月19日に、呉方面に大空襲が
ありました。

(追記)
 巡洋艦磐手(いわて)は、日露戦争直前に就役した
装甲巡洋艦で、艦これには、現時点では登録されて
いない艦です。

 日露戦争では、殿として活躍しています。日露戦争後、
海防艦に類別変更されましたが、練習巡洋艦として
使用されています。

 利根の新艦長、岡田有作大佐は、利根に着任する前は、
この磐手の艦長でした。


紹介書籍:航空巡洋艦「利根」「筑摩」の死闘


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