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戦艦金剛 射撃前の緊張 [戦艦金剛]

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 攻撃予定の1942年10月13日となりました。

 午前8時10分に、「ガダルカナル南東に、
空母3隻航行中」という哨戒艇からの連絡が
入りました。

 この空母部隊とは、この後に行われた南太平洋
海戦で、機動部隊同士の激突という形で、戦うことに
なります。

 午前10時に、敵の哨戒艇と接触しました。これは、
ガダルカナル島にいる部隊に、動きを知らせることに
なります。浮田砲術長は、今夜は敵が待ち構えていると
判断しました。

 正午になり、目指すルンガ泊地は手薄であることが
分かりました。前日の青葉らの突撃により後退していた
ためでした。午後4時になり、早くも日没となりました
(時刻は日本の時刻に合わせてあります)。

 この夜は、月齢零(月がまったく出ていない日。
この日に攻撃できるように、日程を調整しています。)
なので、視認で、飛行場を見つけることは困難でした。

 主砲発令指揮所の黒木大尉は、砲撃のための
位置確認用の焚き火が、予定通り灯ることを祈って
いました。

 艦橋では、艦長と航海長が、砲撃中どのくらいの
速度で走るかを検討していました。そして、射撃中は
18ノット一定で走ることとし、機関科に対して、動力を
安定させるように命じました。

(追記)
 浮田砲術長が、18センチ望遠鏡で監視をしているとき、
主計兵が、戦闘食を射撃指揮所に運んできました。

 金剛の烹炊所から、射撃指揮所まではかなりの距離が
ある上に、食事はおにぎりの他、牛肉の煮付けやゆで卵、
レタスまでついた遠足のお弁当のような豪華なものだった
ので、主計兵は汗だくになっていました。

 浮田砲術長が労うと、主計兵から自分の兄が陸軍兵として
ガダルカナル島にいるので、飛行場を壊滅してほしいと
頼まれました。

浮田砲術長は、叩き潰してやると返事しています。


紹介書籍:航空巡洋艦「利根」「筑摩」の死闘


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