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戦艦金剛 アメリカ軍の反応 [戦艦金剛]

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 アメリカ軍の飛行場の作り方は、ブルトーザーで
木を抜き、土を運んでならします。その後、鉄板を
しいているため、日本軍の土をならしただけの
飛行場より、堅牢でした。

 そして、飛行機からの爆撃は想定しており、それ
ならば、修復が可能でした。

 しかし、戦艦の1tもあるような砲弾が降ってくるとは
想定しておらず、非常な驚きを持っていました。
アメリカの記録では、この時避難していた海兵隊の
隊員は、この砲撃が何によるものか分からず、
不安を募らせていたとしています。

 着任したばかりの海兵隊員は、ガダルカナルの
戦場とはこういうものなのかと目を丸くし、肝を冷やした
とも記されています。日本軍は、正味往復1時間10分の
射撃時間で、920発の砲弾を撃ち込んでいます。

 翌朝、避難していた防空壕から出てきた海兵隊員は、
地上にあった半数以上の飛行機が破壊され、燃料も
一回分がやっとという状況の上、日本軍の本格的な
攻勢があると判断され、この燃料で迎え撃たなければ
ならないとしています。迎撃できなければ、歩兵として
参加せよとしています。

(この記録では、42機残っていたとしていますが、
これだけ残っていれば、金剛らに攻撃を仕掛けることが
可能であり、半数以上残ったというのは疑問だと、
豊田氏は指摘しています。)

 金剛らの飛行場砲撃は戦術的には成功したと
言えます。

(追記)
 金剛が目標とした飛行場は、アメリカ軍はヘンダーソン
飛行場と呼んでいました。ヘンダーソンとは、ミッドウェー
海戦で、最初に戦死した雷撃機の隊長レフトン・ヘンダーソン
少佐にちなんでいます。

 この飛行場は、本来日本軍が最初に整備したものを、
アメリカが占領し補強したものですので、日本軍にとっても
因縁の飛行場といえます。


紹介書籍:航空巡洋艦「利根」「筑摩」の死闘


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